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2012年 NO.430


イエスは、なぜ「人の子」と言われたのか?




 
  「人の子」という語は、旧約聖書の中に何度も出て来ます。

この「人の子」は、単純に人間の弱さと、死に定められている様を強調するものでした。

しかし、ダニエル書7章13〜14節では、「人の子のような方が天の雲に乗って来られ

・・・この方に主権と栄光と国が与えられ・・・」とあり、イエス様は、ご自分を

「人の子」と呼び、世の終りに人間をさばくために来て、永遠に主権をとる方であると

言われています。従って、「人の子」とは、実質的に創造主であると宣言していることです。

しかし、マルコ10章45節では、「人の子が来たのも・・・多くの人のための贖いの代価

として、自分の命を与えるためなのです」とイエスは語られました。この場合の「人の子」

とは、贖いの代価として死ぬために生まれた者として、イエス様は語っておられるのです。

実は、創造主は、「自分のひとり子」を殺すことによって世を救おうとされました。

しかし、創造主としての特徴は、「死がない」ことです。ですから、その創造主が

「どうやって死ぬのか」ということが問題です。死がない創造主がどうやって人間の救い主

になるのか?

 この使命を果たすためには、創造主が人間の形を取られなければならなかったのです。

ですから「人の子」とは、純粋に人を意味します。しかも、アダムが罪を

犯す前の人ではなく、アダムが罪を犯した後の死を持つ人間の形「罪深い肉と同じ形」

(ロマ8:3)であるマリヤから生まれました。それは罪によって世界に死が入った

ダビデの家系としてのマリヤの肉から生まれました。ですから、イエスは、その罪の肉を

精算するために十字架にかかって死なれました。そのイエスの肉は、死ぬことのできる肉

でした。しかし、イエスは罪を犯されませんでしたから、全く他人の罪の贖いの代価と

なったのです。しかしそれでは、ただ死んで終りです。ところが、創造主の子としての

立場を持っておられたため、甦られました。このことの故に、ダニエル書に記された預言

通り、永遠に主権を取るお方が、「人の子のよう方」として記されているのです。

イエスは死をもって「人の子の形」を失いました。しかし甦って「創造主の子」としての
                           ・・・
栄光に戻されました。まさに
私たちの救い主は、「人の子のよう方」なのです。



人の子としてこの世に来られたイエス様は、
その苦しみを覚え、血の汗を流されるほどに祈られた。
   
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