『不信仰の本音』
私たちが、主を信じることのできない本当の理由は、どこにあるのでしょうか?
それは、「信じられないことではなく、信じたくない。」ところに原因があるのではない
でしょうか。クリスチャンであっても、今まで楽しんできたことができなくなってしまう
と思うと、あえて「信じない。」と決めてしまうことがあります。
私たちは、主への信仰をためらう本当の理由を隠すために、自分の弱さにかこつけて習慣的に
言い逃れをしてしまっていないでしょうか。「信じる」ということは、自分の意志にかかって
います。決して、人の所為でも、仕事の所為でも、まして、創造主の所為でもありません。
なぜなら、信仰とは、常に自分の意志による選択だからです。
私たちは、本音を突かれると、本当は信じたくない自分の意志が働いていることが分ります。
信仰の基本は、創造主に従う決意をすることです。
実は、アブラハムでさえ、創造主を完全に信じたというわけではありません。
創造主に疑いを持ち、過ちを犯し、正しい動機をいつも働かせた訳ではありません。
しかし、彼は、信仰の父として、創造主をあきらめることを断固 拒否し、創造主に従う
意志を決して捨てなかったことです。アブラハムの信じる意志は、失敗があっても、創造主の
最善に従う決心をして、信じる方を選択したことです。
私たちの本音は、「信じたいのか、信じたくないのか」このどちらかにあります。
この問いかけを自分自身に語りかけるべきです。すなわち、自分の信仰の本音に問いかけ、
自分の意志を表わすのです。さあ、「信じない者にならないで、信じる者となりましょう。」
(ヨハネ20:27)
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「信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」
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