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2012年 NO.417
  





『不信仰の本音』


  私たちが、主を信じることのできない本当の理由は、どこにあるのでしょうか?

それは、「信じられないことではなく、信じたくない。」ところに原因があるのではない

でしょうか。クリスチャンであっても、今まで楽しんできたことができなくなってしまう

と思うと、あえて「信じない。」と決めてしまうことがあります。

私たちは、主への信仰をためらう本当の理由を隠すために、自分の弱さにかこつけて習慣的に

言い逃れをしてしまっていないでしょうか。「信じる」ということは、自分の意志にかかって

います。決して、人の所為でも、仕事の所為でも、まして、創造主の所為でもありません。

なぜなら、信仰とは、常に自分の意志による選択だからです。

私たちは、本音を突かれると、本当は信じたくない自分の意志が働いていることが分ります。

信仰の基本は、創造主に従う決意をすること
です。

 
 実は、アブラハムでさえ、創造主を完全に信じたというわけではありません。

創造主に疑いを持ち、過ちを犯し、正しい動機をいつも働かせた訳ではありません。

しかし、彼は、信仰の父として、創造主をあきらめることを断固 拒否し、創造主に従う

意志を決して捨てなかったことです。アブラハムの信じる意志は、失敗があっても、創造主の

最善に従う決心をして、信じる方を選択したことです。

 私たちの本音は、「信じたいのか、信じたくないのか」このどちらかにあります。

この問いかけを自分自身に語りかけるべきです。すなわち、自分の信仰の本音に問いかけ、

自分の意志を表わす
のです。さあ、「信じない者にならないで、信じる者となりましょう。」

(ヨハネ20:27)



「信じない者にならないで、信じる者になりなさい。


   
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