『宣教師による先住民の搾取』
ー教会の罪 part4ー
歴史を通じて宣教師たちが、高潔な大志を抱いて、他国へのキリスト教宣教活動を行って
きました。しかしその裏では、先住民たちの価値観には無頓着で、先住民固有の文化を壊して
きたのも事実です。又、宣教師の活動の後に、軍隊による侵略行為もありました。
そして、相手国を植民地化し、搾取する重商主義が、中世のキリスト教の宣教活動にあった
ことは事実です。重商主義とは、最高の資金力を持つ国が、最高の権力を持つという経済政策
のことです。ですから、南米の先住民に対する搾取や虐待があったのは、宣教活動の裏側の
汚点として存在したのは間違いありません。
しかしながら、その宣教活動は、イエス・キリストの宣教活動とは全く異にするものです。
主は、弟子たちを宣教に遣わすに当り、「病人をいやし、死人を生き返らせ、ライ病に
冒された者をきよめ、悪霊を追い出しなさい。あなた方は、ただで受けたのだから、ただで
与えなさい。」と言われ、ご自身も「人の子が来たのは、仕えられるためではなく、
・・・自分の命を与えるためである。」と言われました。
ですから、重商主義とは、全く相反する自己犠牲をもって福音宣教をされたのです。
このように、キリスト教批評家によって、宣教活動の汚点が批判された事柄は、
イエスも全く同意しておられ、それは、本来のキリストの福音宣教の精神ではなかったのです。
ですから、イエスの教えから逸脱した宣教活動は、それ事体、イエスの教えからは、掛け
離れたもので、イエスの教えと救いは、決して否定されることはないのです。
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イエス様は自己犠牲をもって福音宣教をされた。
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