この世界には、ナチスによる600万人の大量虐殺があり、スターリン、ポル・ポト、
毛沢東によって、自由思想を持つ反共産主義者を大量に粛清したおぞましい過去があります。
また、ルワンダの集団殺戮、南米各地に点在する拷問部屋、数千人の犠牲者を生み出す地震や、
台風のニュースは、現在ある出来事です。そんな記事を読むたびに、我々は、どうしようもなく
悩みます。「神なんて本当にいるのか。なぜ神は、地震や台風を止めてくれないんだろー。」
「神が愛なら、こうした苦しみなど存在するはずがない!」しかし、「なぜ、なぜなんだ!」と
叫んでも、何の答えも返って来ません。
「この世に神なんているのか?」「これには、神のご意思がある。」と思っても、苦悩に
打ちのめされた者にとって、少しも助けにはなりません。しかし、果して、そうでしょうか?
神は、苦悩に対して無力なのでしょうか。これらの疑問を、もし、キリストを信じる
クリスチャンが持つなら、大間違いです。なぜなら、私たちは、暗やみの力が支配するこの世に
あって、イエスキリストによって天の国籍を持つ者とされました。
しかし、天の国籍があっても、この暗やみの力が支配する世に生きている以上、この暗やみの
支配を受けるのは必然です。そんな中にあっても、多くの先輩クリスチャンは、自分の命を
賭してもキリストの救いを証していきました。
私たちの救いは、この暗やみの力からあがない出されることだからです。
又、信仰とは無縁な未信者でさえ、神がいないと思いつつも、その苦悩に耐える力を
持っているのは、どうしてでしょう? もし苦悩が、人に生きる力を奪うだけのものであるなら、
今日、この世界に人の姿はとっくにいなくなっていたでしょう。しかし、苦悩の中でも
生きていける力がある。それは善を信じる心が人間の中にあり、それが生きる力と
なっているのです。善を信じる心を持つ本能こそ、人間が神によって創られた証しです。
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