@ 今朝は、パウロがテモテに求めた「勇気」を学びたいと思います。
A さて、このテモテの手紙は、パウロがテモテに宛てた命令として書かれました。
この時、パウロは、エペソの教会の基礎を築くために、テモテに任せていました。
そこで、彼に対して、教会で教えるべき事や、また彼自身に対する教えとして
手紙を書き送りました。パウロの命令としてのメッセージは、2章から出てきますが、
全部で15の命令が語られています。
4章12節からの部分は、テモテ自身に語られているものです。
B では、テモテ自身に対するパウロの教えについて見てみましょう。
16節で、「自分自身にも、教える事にも、よく気をつけなさい。
あくまでそれを続けなさい。」と。「あくまで続ける」ということは、
「どんなことがあっても、使命を全うしなさい。途中でコケてはいけない。」ということです。
このパウロのテモテへの気持ちは、6章11節〜からも伝わってきます。
「私たちの主イエス・キリストの現れの時まで、あなたは命令を守り、傷のない、非難される
ところのない者でありなさい。」(6章14節)と。
ですから、「年が若いからといって軽く見られないように、言葉にも態度にも
(肉=魂の部分)、愛にも信仰にも純潔にも(霊の部分)、信者の模範となりなさい。」と。
確かに私たち人間には、霊と魂と体とがあります。これらは互いに影響し合っています。
もし霊が強くなるなら、魂も正々堂々としたものとなり、体も元気に前向きになっていきます。
霊が魂に影響を与えるからです。ところが反対に、もし魂の部分(生まれながらの肉)が
強くなって、それを出していくなら、霊の活動は妨げられ、悪魔に正々堂々と立ち向かって
いけなくなります。ですから、肉(生まれながらの魂の部分)を砕かねばなりません。
そのためには、悪魔に一番握られて責められている点はどこなのか、また、どの部分で悪魔の
影響を受けているのか、見抜く必要があります。そのために、ごまかしと、だましによって、
自分自身を甘やかしていてはいけません。
それが分かったなら、その部分を砕かねばなりません。
テモテにとってのネックは、臆病という点でした(Uテモテ1章7節)。
彼は、クリスチャンである母と祖母によって育てられ、霊的にはよい影響の下に育てられて
きましたが、たくましく立ち向かっていく訓練に関しては弱かったのです。
ですから、臆病風に吹かれやすかったのだと思います。これは生まれながらの性質ですから、
キリストによって全能主に助けて貰わなければなりません。
霊の戦いにおいては、自分の生まれながらの肉の力では勝負できません。
単純に主により頼んでいくことが、霊の判断なのです。
こうして主の助けによって、出来ない世界に挑戦し勝利していくなら、
「神には出来ないことがありません。」ので、霊的な強さを現していくことができます。
これが、信者の模範となっていくことなのです。パウロはテモテにそれを願いました。
C 私たちも、主のために力強く働きたいと願っています。
しかし今回の信仰の実践の場に立たされたとき、出来ないと思ったら尻込みをして
弱々しい自分をさらけ出しました。まさに、テモテに戒められている臆病風を吹かしたのです。
私たちが、自分に出来ることをしたとしても、そこには慢心とおごりが出てくるだけです。
それは肉の力ですから。しかし、出来ないと思うことを、全能主に頼ってやったのであれば、
感謝と、喜びが湧き出てきます。しかも、それは天に持っていくことが出来ます。
主に喜ばれる人は誰ですか?単純に主に頼って、出来ないと思う事に
向かっていき、出来た!という勝利を味わう人ではありませんか。
肉は、弱くとも、霊の強さがあったら、生まれながらの能力(魂)が弱くても構わないのです。
強くあれ、雄々しくあれ、これこそ、主のメッセージです。 |