@ 主が私たちに与えられた志は、たとい時間がかかったとしても、必ず成し遂げて下さる事を、
御言から学びたいと思います。
A さて、私たちは、主の働きをしていくことにおいても、又、主のお考え通りに生きていくことに
おいても、自分の力で成し遂げることは出来ません。御霊の助けが、絶対必要であることを痛感して
います。そんな中で通読を始め出しました。それが今では、20年前も続いています。
それから、「空っぽの器に油が注がれる」と示されて、御霊の満たしを求めるようになりましたが、
これほどの長い期間、待ち続ける事になろうとは想像もしていませんでした。そこで、聖書から、
同じように長い間待つ経験をしてきた聖徒たちを通して、私達の心構えを学んでみたいと思います。
B では、まず旧約聖書から見てみましょう。
筆頭は、ノアとアブラハムでしょうか。ノアは、創造主の洪水による裁きから助けられましたが、
地が乾くまで約1年間も待たねばなりませんでした。しかも、船から出たときは、この地球には自分
の家族だけしかいませんでした。ですから、どんなにか寂しさを感じたことでしょうか。
人々が増え広がるまで長い間待たなければなりませんでした。アブラハムも、創造主の示す地に行け、
と言われて故郷のウルを出、ハランを経て乳と蜜の流れる地にやって来ました。そして、星のように
多くの子孫を与えると言われてから、自分の子供、イサクが与えられるまで、約25年以上も、
イライラする中で、待たねばなりませんでした。ヤコブも、20年間ラバンのもとで、騙されながら
働かねばなりませんでした。ヨセフは17歳のとき、兄弟が自分に頭を下げる夢を見ましたが、
その後で直ぐ、エジプトに奴隷として売られ、しかも無実の罪で牢獄に入れられ、30歳になるまで
牢の中で過ごさねばなりませんでした。モーセは、40歳のとき同胞を救おうとしましたが受け
入れられず、ミデアンの地に逃亡してそこで40年間過ごしました。それから創造主の命により
パロ王のもとに行ってイスラエルの民を出エジプトさせました。ところが民の不信仰により、
40年間も無駄に思える間、荒野をさ迷い、民の不信仰に付き合うはめになりました。
ダビデは少年のときに王となる油そそぎを受けましたが、それからが、悲惨な人生を送る日々となり、
サウル王に命を狙われながら逃亡生活を余儀なくされ、サウル王が戦死する30歳まで、約15年間
無駄と思える、洞穴生活を余儀なくされました。
このように見ていくと、主に仕えていく者たちは、無駄と思える時間を背負わされてきたことが
分かります。これは、私たちだけではなく、すべての聖徒たちも、同じ苦しみの道、同じ閉塞状態
を通ってきたのです(Tペテロ5章9節)。
それは何故ですか。この地上では、主の働きをつぶそうとする悪魔の策略があるからです。
ですから、「堅く信仰に立って、悪魔に立ち向かいなさい。」と言われているのです。
悪魔はイエス様に対しても策略をめぐらし、ゲッセマネの苦しみに追いやりました。しかし、三日目
に甦られたことによって勝利されました。また、パウロに対しても、船が難破するようなところさえ
通されたのです。しかし、主は、ローマまで、導かれました。このように、苦しみの中で待ち続けた
多くの聖徒たちは、最後にはみな、主の御約束通りに勝利を手にしました。主は約束されたことを
必ず実現し、成し遂げてくださる方だからです。ですから、時間さえ忍ぶ心があれば、悪魔の妨げは
打ち破られ、いくら焦り、疑問を持つことがあっても、時が来れば成るのです。
ですから、つぶやかず疑わずにしていけばいいということが分かります。
C 「主に十分な時間を与えれば、必ず祈りはかなえられる」と、ジョージ・ミュラーさんが
証言しています。これは、昔も今も変わりません。幻を見た以上、主は必ず成し遂げてください
ます。ですから、創造主の御手に任せて、覚悟を決めて主の働かれる、栄光の御業を拝するまで、
信じて今、成すべき事をしていきましょう。
|