@ エペソ2章10節で、「私たちは良い働きのために創造され、その良い働きをも予め備えて
くださった。」と言われていますが、その意味について考え、学びたいと思います。
A 一般的に、多くの人々は、自分に出来たことを、人に誇って見せびらかし、他人よりも、
自分の方が出来る事を誇り、自負心を持つことに生き甲斐を感じています。しかし、
クリスチャンは、自分の弱さや、罪深さを思い知らされていますから、たとい、アレが出来た、
コレが出来たといっても、「出来る・・・と言える者ではない」という事を知っています。
なぜなら、創造主からは、それはちっぽけなことであり、また、主の助けがなかったら、上手に
出ないことが分かっているからです。だから、人の誇れるようなものでも、そのような誇りは、
無益だと思えるのです。それは、もともとすべての知恵と知識は、創造主からの借り物であり、
マネですから。しかし創造主は、そんな私たちを承知の上で、ご自身の良き働きの為に、用いようと
導かれ、その良き働きをも予め備えてくださったのです。
ですから、人は誇りのために良き働き(善)を行うのではありません。
B では、「良い働きのために創造された」という事について考えてみましょう。
私たちの教会は今、創造主訳の聖書を作り出版するために全力を注ぎ込んでいます。
小さな教会であり、特別な能力を授かっているわけでもありませんが、私たちが、この働きに至った
経緯を見るとき、これは創造主が予め備えてくださった良き働きだという事が分かります。
先ず、創造主訳聖書の必要性が起こってきたこと。しかも、口語訳聖書の版権が切れており、それを
使う道が開かれていること。さらに、ギリシャ語の逐語訳が出版され、それを利用できるように
なったこと。そして何よりも、私たちの教会の中で、一人一人がパソコンを駆使し、いろいろな
アイテムを使って作業が出来るように整えられてきたこと等等です。翻訳作業は、主が語られた
ことばの元を伝えるための重要な働きです。創造主は、私たちのような者を、地の基の置かれる
前から選ばれ、この良き働きをするため、予め備えてくださったのです。だからといってこの働きは、
自分の力で出来るものではありません。主の助けが必要です。以前は、情けない自分でしたが、
恵みによって救われ、キリストと共に甦らされた私たちは、御霊によって強くしていただける
のです。そして、御霊によって内なる人を強くしていただき、主の助けによって、良い働きの
中に歩んでいけるのです。
C 私たちは、創造主にかたどって造られた(4章24節)者です。それは、創造主と似たものを
与えられているという事です。しかし、以前は罪の故に創造主の似姿である自主性が歪められ、
与えられた知識も自分の誇りのために使い、主の栄光を表せない者でした。
しかしキリストの故に、心の深みまで新たにされました。
(4章23節)それは、私たちの霊的な発想が新しくされていくという事です。
つまり、私たちがへりくだって聞くことによって、変えられていく自分を味わっていく
という事です。主に求める心を持ってこのスタートラインに立ち、人知で分からないものをも
教えていただくのです。このように、自分が変えられて、初めて主の働きが出来るようになるの
です。新しい良き働きの中に歩むために、主が備えてくださった良き働きのために、一途に
励んでいきましょう。 |