当時のユダヤ人は、三位一体など知りませんでした。彼らは、旧約聖書に出てくるヤハウェなる
神しか知らなかったのです。ですから、自分は「神の子である」と宣言されたイエス様を、
神を冒涜するものとして十字架につけて殺しました。しかし、イザヤ書53:12には、
「彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする。」とありました。
すなわち、神は御子を殺すことによって、この世を救おうとされたのです。
だから、時至って、神の御子は「神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは
考えず、・・・人間と同じようになり、人としての性質をもって現れ・・・実に十字架の死にまで
従われました。」とあります。
神は死ぬことは出来ません。死ぬことの出来ないお方がどのように死ぬのでしょう。
それは、神が、私たちと同じ人間となることで、人間の死をご自分が引き受けて下さる方法しか
ありませんでした。しかし、イエス様が十字架にかけられて死んだとき、神が死んだわけでは
ありません。罪深い人間の肉(ロマ8:3)を取って下さったイエス様が、私たちの身代りと
なって死なれたのです。もともと、神が人間となられたということは、有限な人間の頭(知識)で
理解できるものではありません。神は、人間の知性の中では、矛盾のあることをされました。
しかし、神の御子が、マタイ10:45で「自分の命を与えるために来た。」という
罪の身代りは、「人に出来ないことでも、神はできるのです。」又、「人には分らないことを、
神はなされるのです。」
だから、私たちは、神と人間という二面性を持ってこられたイエス様を、そのまま信じるのです。
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