『福音書の八つの異議に対する弁証」
その1〜その4
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その1 福音書が歴史的に正確な記録を残す意図で記していたのでしょうか?
<1の弁証>―福音書は、実際に起きた事実を正確に記録するため、その時代の背景を、
為政者の第何年目(ルカ3:1〜2)として表すことにより、
その歴史性を明らかにしました。だから、その時代を検証することによって真偽が
わかります。また、イエスの言葉が旧約聖書の言葉に基づくかどうかを記るすことに
よって、その客観的正確さの検証を可能にしています。だから、著者たちは、歴史的に
正確な記録を残す意図を持って記していることがわかります。
その2 では、実際的に正確に残すことが、可能であったのでしょうか?
<2の弁証>―当時のコンピューターも印刷機もなかった時代ですから、教育は、暗記が
基本でした。すなわち、ユダヤ教の教師は、旧約聖書を全編暗記することで有名です。
ですから、主の弟子たちが福音書を全編暗記して後世に正確に伝えることは決して
難しいことではなかったのです。また、ギリシャ語の文章は和歌、俳句のように
韻律形式で成り立っていましたので、暗記は比較的に容易にでき、後世に
正確に残すことができたのです。
その3―福音書の記者が、不誠実で、不道徳なまやかし者ではなかったのでしょうか?
<3の弁証>―彼らは、誠実が服を着て歩いているような人物でした。それは、12使徒の
内11人までが壮絶な迫害の下で真実を明かしするために自分の命を賭していった
ほどの人たちであったからです。
その4―四福音書には、食い違いと相違があるのに、神の言葉として
信頼できるのでしょうか?
<4の弁証>―逆に、一字一句全く同じであるなら、不自然で、意図的に作られたものと
しか言い様がありません。また、福音書の相違が、キリストの神性と贖いの教理を変え
てしまうほどの相違は、全く見られません。
(例―ヤイロの娘、百人隊長、ゲラサとガダラ。)以上のことから、福音書の異議に
関して、書かれた時代の背景を理解すると、異議が、かえって福音書の信憑性を
明らかにしてしまうのです。だから、聖書の記事が今日まで正しく伝えられてきた
ことが確信されるのです。
*為政者=政治を行う人。
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