『信仰に留まる』
コロサイ書2章1〜8節
@ 今朝は、「信仰に留まる」ことについて学びたいと思います。
A さて、コロサイ書が書かれた目的は、「救いをないがしろにせず、キリストを信じる信仰に
留まりなさい。」ということが中心テーマです。
それは、コロサイの教会には、キリストから引き離そうとする「だましごとの哲学」が入ってきた
ため、それによって離れていく人々が起こっていたからです。ですから、信仰にしっかりと踏み
とどまるようにと警告が語られています。この警告は、現在の私たちにも語られているものです。
B では、「だましごとの哲学」とは何か、考えてみましょう。
「だましごとの哲学」の基本は、悪魔がエバに語った内容と同じです。
即ち、「死ぬことはない。」、「神のごとくなる。」、という騙し事がその中心です。
ごく最近まで、進化論が「だましごとの哲学」として世界を席巻してきました。
ところが、最近の科学では、目に見えない分野が詳細に解明されるようになり、進化論では説明が
困難になってきています。その最たるものが、DNAの研究です。DNAは遺伝情報の本体であり、
その情報に基づいて設計図されて生命が誕生します。この情報は、自然あるいは偶然に出来上がる
ものではありません。情報の背後には、「知性を持った方」が存在するからです。
すると、進化論では、論ずることができなくなってきたのです。
ところが、この「知性を持った方」を、多くの科学者は、創造主であるとは考えず、汎神論の中に
探そうとしているのです。
どこにですか? 宇宙にです。宇宙に知性を持った方が存在すると言うのです。
そして、宇宙の一部である私たちは、神の現れであり、輪廻によって神に進化していくと
考えるのです。ですから、輪廻には「死はなく」、輪廻を繰り返すことによって
「神に進化していく」という考えが、ニューエイジ運動です。即ち、「人間が神になる」という
世界に入っていくことを目ざしているのです。
実に、悪魔がエバに語った言葉は、今日まで続いているのです。創造主を認めない世界で、満足する
ものを追求していこうとする考え方こそ、「だましごとの哲学」です。私たちの周りに、その騙しが
忍び寄ってきており、私たちを騙してキリストから引き離そうとしているのです。
ところが、キリストのうちにこそ、真実の知恵と知識の宝が隠されており(2章3節)、
神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っているのです(2章9,10節)。
「私たちの罪をキチッと処理し、本来あるべき所に迎えてくださる」方こそ、
神の御子キリストだからです。神の御子が、私たちの罪の代価を払うために死んで下さった、という
福音を聞くと、私たちの心は喜びに溢れてくるのです。
C 悪しき者は、自分を誇り、自分が神になろうとしています。しかし私たちは、ことさらに
自己卑下したり、見せかけのへりくだりではなく、心からへりくだって、神に仕えていくべきです。
私たちの命は神のうちに隠されており、この地上にあっては、天にあるものを求めていく
生き方こそ、「キリストにとどまる。」ことであり、コロサイ教会へのメッセージであったのです。
今、神が私たちを選ばれ、私たちを聖別してくださったのは、「だましごとの哲学」に惑わされる
ことなく、確信と希望を持って大胆に十字架の福音を、最後まで真実と喜びを持って語っていくため
です。積極的に、大胆に信仰に踏みとどまっていきましょう。 |
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