『患難時代を通っていく心構え』
ヨハネ黙示録6章12〜17節
@ 今朝は、私たちクリスチャンも患難時代を通って行く心構えについて考えたいと思います。
そして、残りの生涯を、どれほど聖い生き方をする敬虔な人でなければならないか、学んでいきたいと
思います。
A さて、1章では、使徒ヨハネが黙示録を記した経緯について述べられています。それは、ヨハネが
イエス・キリストを信じる信仰の故に囚人となってパトモス島にいた時のことです。ヨハネを初め、
キリストの弟子たちは、みんな迫害を受けていきました。それは、世の終わりに遭遇している私たちも
例外ではありません。彼は、主の日に幻を見て、この後に起こる事を記すようにと言われました。
では、黙示録に示されている、これから起こることについては、下表に記します。
1 |
*マタイ24章 |
獣 |
天の万象 |
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ラッパ |
再臨 |
携挙
(選びの民) |
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2 |
*黙示録6・7章
―患難時代の序幕― あらすじ |
獣 |
天の万象 |
イスラエルの印 |
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携挙
(患難から抜け出て
来た人々) |
贖われた
人々 |
3 |
*黙示録13・14・15章
―8章より患難時代の本幕― 始まり |
獣 |
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イスラエルの印 |
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再臨 |
携挙
(地から刈り取り) |
贖われた
人々 |
4 |
*使徒2章 |
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天の万象 |
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再臨 |
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5 |
*Uペテロ3章 |
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天の万象 |
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再臨 |
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6 |
*Tコリント15章 |
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ラッパ |
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携挙
(生きている人々) |
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7 |
*Tテサロニケ4章 |
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ラッパ |
再臨 |
携挙
(生き残っている人) |
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*上記の表から分るように、主の再臨の前に獣の出現・天の万象の崩壊・イスラエルの印・
終わりのラッパがあり、携挙は、主の再臨の後です。
B では、再臨が間近に迫っている今、私たちはどのような心で生きていけばいいのでしょうか。
ペテロは言っています。「主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きを立てて
消え失せ、天の万象は焼けて崩れ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。このように、これらの
ものはみな、崩れ落ちるものだとすれば、あなたがたは、どれほど聖い生き方をする敬虔な人でなければなら
ないことでしょう。」(Uペテロ3章10,11)と。これは、クリスチャンに語られている言葉です。
ある人々は、黙示録の4:1から、教会は、患難時代の前に天に引き上げられるといいますが、
自分たちが、フィラデルフィアの教会だと、どうして言えるのでしょうか? ラオデキアの教会なら、
吐き出されてしまうかも知れません。それなのに、患難時代の前にクリスチャンは、天に引き上げられると
考えています。そんな根拠は、全くありません。むしろ、イエス様も、再臨の前に、獣の出現と、天地が
崩れると言われています。ですから、クリスチャンも、患難時代を通る覚悟は、必要です。その時には、
全ての人が死を目の前にし、誰も逃げられないのですから、いつ死んでも良いような生き方をしていくように
とペテロは、忠告しているのです。では、「聖い敬虔な生き方」とはどのような生き方でしょうか。
もし私たちが、自分の肉の感情を大事にした生き方をしているなら、その時々の感情に翻弄されて、落ち
着きも平安もなくなり、主を見上げ、主の日を待ち望む心も持てなくなるでしょう。そんな時主が来られたな
ら、私たちは、自分が如何に不真実で傲慢な者であるかを思い知らされて恥じ入り、主を喜ぶ心も、どこかへ
消え失せてしまいます。しかし、「神の国とその義とをまず第一に求め」て、主のために一生懸命生きている
なら、主を心から待ち望めるのです。へりくだったその生き方こそ、聖い敬虔な生き方なのです。
C 主は言われます。「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開ける
なら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」。
イエス様に心をたたかれたなら、直ぐに心を開いて、聞いていくクリスチャンであるべきです。肉は裁かれた
肉ですから、肉を守ることは、ナンセンスです。肉のこだわりを捨てて心を開き、
「御心のため生きていきます。」と。聖い敬虔な生き方のなかに、本気で生きていきましょう。 |
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