@ 今朝は、「神の栄冠を得るために、ひたむきに前のものに向かって進み、走るべき道を
走り終えた。」と言ったパウロの生き方から学びたいと思います。
A さて、私たちの周りには、分からないことが溢れています。その中には、分からないままで放っ
てはおけないこともあるのです。ところが、頭を使うのは面倒だと思って考えようともせず、
「分からないものは分からない」と、往々にして、分からない世界を積み増しているのでは
ないでしょうか。これは、私たちの生活の中でごく当たり前のようにしていることです。
しかし、分かって初めて結果が出てくるのですから、そのような生き方は、実を結ばない人生と
なってしまいます。しかし、パウロさんは、どこまでも、神の栄冠を得ようと、ひたむきに前に
向かっていきました。
B では、パウロの生涯から、ひたむきに前に向かっていく生き方について見てみましょう。
パウロは語っています。「私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでも
ありません。ただ捕らえようとして、追求しているのです。」と。
これは、パウロの信仰の生き方です。それは、「自分は不完全な者だけれども、それを得るようにと
キリスト・イエスが自分を捕らえてくださった。」から、「キリストに依り頼み、聞きながら、
目標に到達するまで追求していくのだ。」と、前向きな心で生きようとしています。
確かに私たちは不完全なものですから、分からないことがあっても当然のことです。しかし主は、
「だからお前はダメだ。」とか、「能力が無いからだめだ。」とは言われず、私に依り頼んで、
どんなことでも捕らえようと追求していきなさいと励ましておられるのです。
なぜなら、「私たちには、イエス・キリストという家庭教師であり、個人教授をして下さるお方が
いる」からです。だから、恐れずチャレンジしていけば、そこに主の助けがあり、達成感を
味わうことが出来るのです。パウロは「、キリストのためなら何でもする」と言いました。
それは、自分に能力があるからではなく、「私は、私を強くしてくださる方によって、
どんなことでも出来るからです。」とキリストにより頼む信仰があったからです。
だから、どんなことでも、「ひたむきに前のものに向かって進んでいくという一事に励み、一心に
走っていきました。」そして、「走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通した。」と証言して
います。私たちもこのパウロの生き方にならうべきです。キリストのためだったら、肉の否定的な
思いを退けて、一心に追求して行くべきです。すると、パウロさんのように、「キリストに信頼して
いくなら何でも出来る」という確信に立つことができ、決勝点に向かって一心に走っていく生き方が
出来るのです。
C 私たちの教会のスローガンは、「心と頭を使って、速く正確に!」です。頭は、心を使うこと
によって動いてきますから、まず心を使います。そして、頭を使って、速く正確に行い、結果を出す
まで(栄冠を得るまで)一心に、ひたむきに走っていくのです。心の向かうものには、頭を使って
考えますが、自分にメリットのないものや、気が進まないものには、頭を使って結果を出そうとしま
せん。こんな自分勝手な生き方は、キリストのためになりません。どんなことでも、
「速く正確にしよう。」とする心が在れば、いつもキリストにより頼んで、個人教授である
イエス様に心を向けて実を結んでいけるはずです。この生き方こそがパウロさんの心です。
私たちもパウロさんにならって一心に目標に向かって、歩んでいきましょう。 |