『不正な管理人のたとえ』より
ルカ16章1〜18節
@ 今朝は、「不正な管理人のたとえ」を通して、イエス様が伝えたかった真意を考えて
行きたいと思います。
A さて、この不正な管理人がほめられている真意を、どのように解釈すればよいのでしょうか?
なかなか難しい所です。イエス様は、この管理人の不正を肯定し、「その不正の富で友をつくり
なさい。」と言われています。そうすれば、「富がなくなったときに、彼らはあなた方を永遠の
住まいに迎えるのです。」と。いったいこれは・・・どういうことなのでしょう。そこで、
イエス様の真意をくみ取るための10節の御言を考えていきたいと思います。
B 先ず第一に、この例えは、主が心を許している弟子たちに語られているものだということ
です。イエス様は、誤解されやすい内容であっても、弟子たちは心を開いて好意的に真意を汲み
取ってくれると考えていたからです。しかし、案の定、イエス様に敵対しているパリサイ人たちは、
一部始終を聞いてあざ笑いました。心で聞こうとしていなかったからです。次に、16節の御言
です。この例えと16節の御言との関わりから、イエス様の真意が分かります。
イエス様の例えはこうでした。「ある金持ちの管理人が、主人の財産を乱費していると訴えられ、
会計報告を出すようにと命じられました。彼は、解雇されたときのことを考えました。
『土を掘るには力がないし、物ごいをするのは恥ずかしいし。』。そこで思いついたのが、
主人から借金している者を呼んで、その借用書を少なく書き改める」というものでした。
言うなれば汚職ですが、こうしておけば、解雇されたとき自分を迎えてくれるだろうと踏んだから
です。このことを知った主人は、抜け目のない管理人を褒めたのです。そこでイエス様は言われ
ました。「不正の富で、自分のために友をつくりなさい。そうしておけば、富がなくなったとき、
彼らはあなたがたを、永遠の住まいに迎えるのです。」と。私たちの感覚では、主人がなぜ、
不正をして自分に損害を与えた管理人を褒めたのか不思議です。しかしその疑問を解く鍵は、
16節のおことばです。「律法と預言者はヨハネまでです。それ以来、神の国の福音は宣べ伝え
られ、だれもかれも、無理にでも、これに入ろうとしています。」律法と預言者の時代は、律法に
かなった者だけが、神の国に入る時代でした。しかし、その条件は、ヨハネまででした。もし、
律法をキチッと適用されたら、誰も神の国に入ることは出来ません。何故なら、罪は私たちの心の
中にあり(マルコ7章18〜23)、それが出てきて人を汚すからです。従って、自分に罪はない
と言える人はいません。故に、律法で神の国に入ることは不可能でした。ところが、イエス様が
律法を終わらせられたのです。それ以来、イエス・キリストによって、全ての者が神の国に入れる
時代になったのです。ですから、だれもかれも無理にでも、これに入ろうとしています。それは、
イエス様が、全ての罪の償いをして下さり、失われた人を探し出して救うために来て下さったから
です。ですから、もし本気で神の国に入りたいと思うなら、この管理人のように、不正をやって
でも友をつくり、首を切られた後の救いを必死に考えたように、私達も、罪の精算が始まる前に、
神の国にはいるためには必死になり、格好を付けている時ではないのです。今は、無理にでも
神の国に入ろうとしなければならないのです。「救って下さい」「入れて下さい。」と叫ぶ者を、
キリストの贖いの故に神は無条件で永遠の住まいに入れて下さるからです。
C 私たちは、ヤコブが、エソウを騙してでも祝福を得たように、又ヤコブが天使と相撲を取って
祝福を得たように、主の御言の真意を受け止めて、無理にでも神の国に入らなければなりません。
この地上でやったことの報いの時は、すぐに来るからです。ラザロが門前にいた金持ちは、持って
いたお金で備えをしませんでした。しかし、私たちは、全てを用いてどんなことがあっても主の
祝福を得るために全力を尽くしていきましょう。 |
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