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2009年1月18日






『信じていくことの戦い』



ルカ14章15〜24節





@ 今朝は、「あなたの信仰が、あなたを直したのです。」と言われた主の言葉から、

私達自身が積極的に信仰の心を注ぎだしていく信仰を学んでいきたい
と思います。

A さて、クリスチャンは、世を去ってもキリストと共にいることを知っていますので、たとい

死んでも、主のもとに帰れるという確信と希望があります。それは、罪の贖いを受けているから

です。ですから、この肉体にとどまるよりも、世を去ってキリストと共にいる方がはるかに

まさっています。しかし、私たちを必要とする人のためなら、この肉体にとどまることは益と

なると思います。それは、ユダヤの王ヒゼキヤの例で分かります。彼は病気になり、

「あなたは死ぬ。直らない。」と言われました。しかし、彼は、命の主に祈り求め、ガンが

癒やされて15年寿命を延ばしてもらいました。彼が諦めずに、いのちの主に飛び込んで行った

からです。


B では、ヒゼキヤのように神の恵みを味わうためには、どのような信仰の心が必要なの

でしょうか。このことをイエス様は、主人の宴会に招待した人々の反応を例に取って、語られ

ました。宴会の招きに、招待していた人々は、それぞれが「畑を買ったので・・・」、

「牛を買ったので・・・」、「結婚したので・・・」と、理由を付けて来ようとしません

でした。彼らにとっての関心事は地上のことであり、そこに価値を置いていたからです。

彼らは、神の国で食事をすることより、自分の損得に関わる地上のことに心を向け、そこに

第一の価値を置いていたのです。この地上に価値を置いた生き方は空しいものです。
          ごわさん
結局は死んで、全てが御破算となり終わってしまうからです。

ですから、いのちの主に飛び込んでいかなければなりません。それは、私たちの罪の精算をし、

救ってくださるイエス様がいらっしゃるからです。私たちが、主に信仰告白をしたとき、

純粋に主に信頼して叫び求めました。私達は、いつまでもその純粋に信頼した心のままでいる

べきです。それは、ヒゼキヤの心でもあります。彼は腫物(癌)に冒され、「もう直らない、

死ぬ」と言われながらも、諦めずに主に叫びました。普通ガンで死を宣告されたら、多くの人は、

これまでかと観念し、平安に死を迎えるのが信仰だと思うでしょう。確かに一面ではその心は

立派な信仰といえるでしょう。しかし、肉体にとどまることがもっと必要だとするなら、

そんなことを言っておられません。主に信頼する信仰を働かせ、その心を注ぎ出して叫び求めて

いくことこそ、主が求めておられることではないでしょうか。それは、エネルギーの要ること

です。中途半端な心では出来ません。本気で従って行くこと(14章25〜33)を、主は願って

おられるのです。そこで初めて、ヒゼキヤと同じ恵みを味わう者となるからです。

C 私たちは、自分の生き方や歩みにおいて、信仰の心を明らかにしていきたいのです。

現実を見て「ダメだ。」と思うその心を退けて、どこまでも主に信頼し、信仰のエネルギーを

注ぎ出し、あくまでも求め続ける戦いをしていきたいのです。それは、主が求められる本当の

信仰だからです。信仰の現われは、「あなたの信仰が」とあるように、信じていくことの闘い

です。しかし、多くの人は、戦うのが「しんどくて」死を受け入れてしまうのです。
私の命は

全て主が造られ、主によって生かされているなら、この命を最大限に用いていただこうではあり

ませんか!あきらめない信仰を持って、主を証ししていくことを求めていきましょう。

救いは、100%恵みですが、証しは、努力が必要で
す。





    


                                        

  
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