『妨げる働き』
マタイ9章1節〜13節
@ 今朝は、私たちが聖霊によって前進して行こうとするときに、それに対抗して阻止しようと
する働きが、当然のように起こってくることを学びたいと思います。
A さて、イエス様が宣教を開始されてから、ことごとく病が癒され、悪霊が追い出され、
ライ病人までもが癒されるというセンセーショナルな出来事が起こって来ました。身近にいた
ペテロやアンデレ、またパリサイ人や律法学者、そして大勢の民衆は、イエス様の力ある奇蹟を
目の当たりにしたのです。ところが、このイエス様の力強い働きを見ながらも、その働きを非難し
妨げようとする者たちも起こってきました。そのことが、9章あたりから始まってきています。
B では、どのようにして妨げが起こってきたのか見ていきましょう。さて、イエス様がペテロの
家にいたとき、中風の人が床に寝かせられたまま、主のみもとに連れてこられました。イエス様は
彼らの信仰を見て、中風の人に「あなたの罪は赦された。」と言われたのです。するとそこにいた
律法学者たちは心の中で言いました。「この人は神を汚している。」と。彼らは律法に精通して
いる者であり、イエス様の力ある業を見たときに、この方こそメシヤではないかと悟り、理解
できる一番近い人たちでした。にもかかわらず、イエス様に向かって「神を汚している。」と
自らを全能者の上に置き、非難しています。さらに、9〜13節では、イエス様が取税人や罪人
たちと食事をしていると、それを見てパリサイ人が言いました。「何故、罪人と一緒に食事をする
のか。」と。彼らは、イエス様の上に立って非難しました。彼らは、自分たちも同じ罪人である
ことを棚に上げ、彼らと食事をしているイエス様を非難したのです。彼らはイエス様に対抗し、
悪魔の手先となって主の働きをつぶしにかかってきたのです。しかしイエス様は、罪人の反抗を
ものともせず、罪人を救う仕事を成し遂げるために、宣教を開始されて行かれたのです。
私たちの教会も、今ヨルダン川を渡り、宣教を開始して行こうとしています。そんな中で、
イエス様の時代と同じように、さまざまな妨げがやってきて、私たちの心を挫かせ押し潰そう
としているのです。しかし主は、ブラジルからの便りを通して、「ガンバレよ。世界宣教が
始まってくるぞ。」と励ましてくださっているのです。主の働きを阻止しようとする動きは、
昔も今も変わりません。主にさえ妨げが来るなら、まして私たちには、当然のようにやってきます。
C これから、私たちが始めようとする働きは、この町に、実物大のノアの箱舟博物館をつくり
あげて行く事です。主からきた志しですから、実現が不可能なことはありません。私たちは、
「主がそれを成し遂げてくださる。」という信仰がありますから、気負わず、ただ静かに信じる
信頼によってなすべきことをしていくのです。しかし、これから様々な妨げが起こってくるのも
事実でしょう。現実に今もあります。しかし、どこまでも信頼し、前進していくのです。
主にさえ、妨げが来たのですから、私たちには、当然のことだと覚悟して宣教を続けていきま
しょう。 |
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