『世界一を目ざして!』
第Tコリント11章19節
@ 今朝は、訓練の目的は、本当の信者(試験済みの信者)が明らかにされ(Tコリント11:19)、
世界一を目指していくためであったことについて学びたいと思います。
A さて、最近、牧師像について考えさせられていました。世間の牧師像は、柔和で優しく、
怒らないというイメージがあります。ですから、叱責している牧師には、違和感があり、横暴な
リーダーに見えることがあります。しかし、人を叱責する時というのは、動機があり、理由がある
はずです。そんなことを考えているときに、ハタとその意味が分かってきました。
そこで、その事について皆さんと考えてみたいと思います。
B では、先ず、19節の御言を見てみましょう。「あなたがたの中で本当の信者が明らかにされる
ためには、分派が起こるのもやむをえないからです。」とあります。ここで注目したいのは、
「本当の信者」ということです。直訳では、「試験済みのもの」という意味があります。確かに
私たちの教会は、さまざまな取り扱いがあり、厳しい訓練の中を通ってきました。それに加えて、
個人的にも厳しい指導がありましたから、今残されている者たちは、確かに、「試験済みの信者」
ということになります。では何故、厳しく叱責されてきたのでしょうか。その理由はただ一つです。
信仰によって生きて行く生き方を学ぶためです。即ち、私たちには、信仰を妨げる肉の思いがあり、
その肉を罪に定め、自分を砕いて、キリストのために生きる者となるためです。しかし、クリス
チャンの心の中にも、生まれながらの反抗心や反発心はありますから、頭ごなしに叱責されたり
すると反発し、その心が顔に表れ、険悪な雰囲気となります。一般的に、そうならないようにと、
優しく、肉を刺激しない方法で指導しようとします。しかし、そのやり方では、「従う」という
ことを本気で指導できるのでしょうか。例えば、スポーツの世界で、世界一を目指すチームは、
全員が一致した心で向かっていかねばなりませんから、生半可な訓練ではありません。本気の心が
一人一人に求められるのです。この本気の心こそ、私たちの教会が目指したものです。
「主のためなら、やります。」という心を持った本気(本物)の信者が育てられていくためです。
その一致の心が無かったなら、世界宣教はおろか、聖書に書いてあることは今日も起こることを
証していくことは出来ないからです。長い間の叱責と訓練は、反抗と反発の心を砕いて、本気で
従っていく信者が明らかになるためであり、試験済みの信者が育っていくためだったのです。
C 今残されている信者たちは、「聖書に書いてあることは今日も起こる。」ことを証していき
たいという志(ビジョン)を本気で賛同した者たちです。そして、一人一人がその働きに用いられ
たいと願い、試験を受けてきました。もはや、試験の時は終わりました。これからは、力を頂いて、
世界宣教に参戦し、世界一を目指して邁進して行く時です。試験済みの者であることを感謝しま
しょう。そして、主に信頼するなら、必ず、主は成し遂げてくださることを確信して、世界伝道の
リーグ戦に参戦していきましょう。世界一を目指して! |
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