① 今朝は、8章までの内容を学んで、そこからの学びを受けたいと思います。
② さて、8章1節で「以上述べたことの要点は」とありますので、ここまでの章の要点について
書き始められています。それは、私たちの大祭司であるイエス様がおられることについてです。
この世の大祭司は、民の罪の贖いのためと、自分自身の罪の贖いのために、いけにえをささげ
ねばなりませんでした。しかし、私たちの大祭司は、民のためのいけにえだけを持っていけば
良かったのです。何故なら、神の子という、完全ないのちがささげられたからです。完全なものが
ささげられたなら、それに代わるものは入りません。それで十分なのです。
③ では、完全なものがささげられたことの意味について見てみましょう。12節では、
「わたしは彼らの不義にあわれみをかけ、もはや、彼らの罪を思い出さないからである。」と
言われています。これと同じ言葉が、10章17節でも言われていますが、「わたしは、もはや
決して彼らの罪と不法とを思い出すことはしない。」と。創造主は、私たちの過去の罪を二度と
思い出さないし、又、ほじくり返さないと言われるのです。これは凄い事です。自分たちならどう
でしょう。相手を‘赦してやった’という意識をいつまでも持ち続け、「赦してやったのに・・・」
と、念に持ちます。反対に、恩を受けたときは一生忘れないと思っていても、状況が変わると、
手のひらを返したように反逆するのです。この反逆という罪の精神は、私たちの心の中に潜んで
います。そしてそれは、創造主に対しても向けられ、自分に都合が悪くなると反抗し、反逆するの
です。ところが創造主は、こんな私たちを全部知った上であわれみをかけて下さり、ありのままの
私たちを受け入れて、「その罪を二度と思い出さない。」と言ってくださるのです。しかも、
この言葉は絶対に変わりません。キリストの贖いは完全なものだからです。確かに、古い契約
である律法には欠けがあって、救う力はありませんでした。しかし、新しい契約は、もともと
アブラハムに与えられた約束であり、創造主が一方的に結ばれた約束です。しかも、神の御子の
いのちで罪の代価が支払われているのですから、「あなたの罪を思い出さない。」と言われた
言葉は絶対に変わらないのです。この方に対し、私たちはただ、「ありがとうございます。」
とひれ伏して受け取ればいいのです。もし信じた後に、罪を犯すことがあっても、完全な贖いが
されている事実は変わりませんので、ひねくれずに素直にへりくだって、それを認めて悔い改め
ましょう。私たちには真実な大祭司がおられるのですから、大胆に創造主に近づいていくことが
出来るのです。それはどんなことがあってもです。そして、生涯、忍耐してこの約束を信じ続けて
いくことこそ、ヘブル書のメッセージなのです。
④ 私たちは、自分の状態如何にかかわらず、完全な救いを下さったのはイエス様です。
ですから、確信を持って伝えていきましょう。又、私たちは、主のために役立つ者として
用いられていきたいと願って来たのですから、このイエス様に、全幅の信頼を以て、
従っていきましょう。 |