@ 今朝は、私たちは、「私の創造主」「私のイエス様」に対して全幅の信頼を表わしていけば
いい事を、学びたいと思います。
A さて、14節からの出来事の前には、7つのパンで4千人の人々が食べて満腹した上に、7つの
籠に余るという出来事がありました。これは、常識を越えた驚くべき出来事です。
しかし、進化論的に考える人は、7つのパンがあったから出来たことであり、何も無かったら
出来なかった、と言うかも知れません。もしそうだとしたら、パンの数によって、食べれる人の数
や、余ったパンの数に違いが起こってくるはずです。ところが、5000人の時はパンが5つと少ない
のに、パンの残りが12籠もあったのです。それは、パンの数には関係がなく、イエス様にとって、
何も無いところからでも食べるものを与えることのできる方であるということです。なぜなら、
天地万物を創られた創造主だからです。弟子たちはそれを悟ろうとしなかったので、
「パン種に気をつけよ。」と言われて、ちんぷんかんぷんの返事をしているのです。
B では、イエス様が悟るようにと願っておられる事とは何であったのでしょうか。
又、パン種とは何のことだったのでしょうか。私たちは、僅かなイースト菌(ふくらまし粉)が
パン全体を膨らますことを知っています。同様に、ほんの少しばかりのパリサイ人のパン種が
心に入ると、その人の心の中で大きく影響を及ぼすのです。それは、今日の日本に、はびこって
いる、真面目に生きていくことをチャカしたり、理想を貫いていこうとするのを小馬鹿にする
風潮にも言えます。それは、あるお笑い芸人から始まり、今やそのパン種は日本中を席巻して
います。しかし、天に向ってつばを吐けば自分に降りかかってくるように、真面目に生きることを
馬鹿にすれば、その報いは自分に返ってくるのです。なぜなら、最後には、全ての人が、行ないに
応じて裁かれるからです。ですから、「このパン種に騙されないように気をつけなさいよ」、と
言われているのです。ところが弟子たちは、ただ、食べるパンのことだと思い、イエス様の言われ
ていることを理解しませんでした。創造主であるイエス様に目を向けなかったからです。
もし彼らが創造主であるイエス様に心の目を向けていたなら、ただ食べるパンのことを言われて
いるのではなく、イエス様の本心を理解していたことでしょう。何故なら彼らは、イエス様が
死んだ娘を生き返らされ、12年も長血で悩んでいた者を癒やされ、嵐を静め、自然界さえも
支配しておられる方であることを見てきたからです。イエス様こそ創造主であられ、全能者である
ことを悟っていたなら、この方に頼って行けばいいのだと分かり、ただ食べるパンのことで議論
する必要など無かったでしょう。
C 私達は、イエス様が私の命の創り主、私の主、私の救い主ですから、もはや自分の力で生きて
行かなくてもいいと悟るのです。この全能者が私の傍にいて下さるのなら、この方に全幅の信頼を
寄せ、従うのは、当たり前になるのです。
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