@ 今朝は、“いのちの水”について学びたいと思います。
A さて、イエス様は、ガリラヤに行かれる途中、サマリヤの町を通られました。そして、井戸の傍ら
に腰を掛けられた時、そこへ、一人のサマリヤの女が水を汲みだしに来ました。そこで、主は彼女
に「水を飲ませてください。」と言うと、彼女は、「ユダヤ人のあなたが、付き合いを嫌うサマリヤ
の私に水を求めるなんて・・・」と躊躇しました。そこで主は、「私が誰であるかを貴方が知っ
たら、貴方の方で私に水を求めたことでしょうに。」と言われ、「わたしが与える水を飲む者は
だれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の
いのちへの水がわき出ます。」と言われたのです。
B そこで、イエス様が与えられると言われる、「渇くことのない“いのちの水”」について
考えてみたいと思います。私たちは普段水がないと生きていけません。然し、私たちの飲む水は、
飲んでもすぐ渇きます。というのは、私たちの体からは、水分が汗や湯気となって常時出て行きます
から、生きている限り、水を補い続けなければなりません。しかも私たちに必要なこの水は、
特別な性質をもっている水です。というのは、H2Oは他の物質がくっついても別の物質には
なりません。ですから、水は、他の物質を溶かしても溶かされた物質をそのまま体に取り込む
ことができるのです。もし水と他の元素が反応して、別の分子になると、体に必要なミネラル
を取り込むことができないのです。重さにおいても、摂氏4度の時が一番重く(比重1)氷に
なると、液体の水より軽くなるのです。然し、普通の物質は固まると密度が高くなりますから
沈みます。然し、この水だけは、固まっても密度が低くなり、水の上に氷が沈まずに浮くのです。
この特別な性質の故に、その下にいる魚や生物は生きておられるし、海の水位も上がらずに
保たれているのです。さらに、地球の海と陸の比率が7:3と、海の比率が大きくなっています。
この比率だからこそ、海水が日中の太陽の熱を吸収して蓄え、夜になるとその熱を放出し、
人間が住める適度の気温を保っているのです。また塩辛い海水でも、蒸発して真水となり、
それが雨となって山を潤し、その水が様々な鉱物を含んで山から流れてきて、私たちに必要な
ミネラルを含んだ飲み水となっているのです。この水の循環は、全てが真水でしか生きていけ
ない人間や生物のために仕組まれていることが分かります。こんな特別な仕組みがあるからこそ、
人間は生きていけます。この仕組みは、叡智をもって仕組んだお方がおられなければ、これほど
までに見事な仕組みは出来ません。
C しかし、これほどの水でも、飲めばまた渇くし、年取れば死んでいくのです。ところがイエス様
は、ご自分のいのちを差し出して、自分勝手に生きている私たちの罪の償いをしてくださいました。
それによって罪深い私たち(海水)でも、罪から解放され(真水とされ)、永遠に生きる者とされ
たのです。このイエス・キリストの救い(生ける水)を手にとって飲めば、だれでも永遠に生きら
れるのです。これが“永遠のいのちの水”なのです。主は言われます。「わたしは、渇く者には、
いのちの水の泉から、価なしに飲ませる」と。
今、永遠の水を頂いて、永遠のいのちの中に入りましょう。
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