今朝は、“主が先立って成して下さる”ことについて学びたいと思います。
A さて、私たちが開拓伝道を始めてから今日まで、全てが順調に進んできたという訳ではありま
せん。むしろ、様々な苦労や困難の中で、細々と支えられてきたというのが現実です。そのような中
で、人間の力ではどうにもならないことを味わってきました。しかし、今思うと、思い通りに成ら
なかったことや、祈っても叶えられなかったりしたことは、全て創造主のお許しの中にあったこと
であり、それが主の御心だったことが分かります。それは、私たちが傲慢にならないための、主の
訓練であったからです。
しかもそれは、「今日も、聖書に書いてあることは、同じように起こる。」と言うことを証し
していくための前段階の取り扱いだったのです。だから、「主に信頼せよ。主が成し遂げて
下さる。」という御言葉を信じ続けていくように導かれて来たのです。そして、今主は、「事を、
全て先立って行って下さり」、そのことを表して下さっています。
B では、弟子たちも味わった、「主が先立って行われた御業」を見ていきましょう。それは、
過越の小羊がほふられる種なしパンの祝いの日でした。イスラエル人は、エジプトから脱出する
ときに、全エジプトに臨んだ創造主の災いから守られたことを記念して行う過ぎ越の祭りをして
いました。そして、イスラエル人は、この祭りに備えて、前々から準備していました。ところが
イエス様は、当日になってペテロとヨハネに、「準備しに行きなさい。」と言われたのです。それに
対して彼らは言いました。「どこに準備しましょうか。」この返答に、彼らの信仰の成長を見ること
が出来ます。以前だったら、「そんな急に言われても・・・出来ません。」と言っていたこと
でしょう。しかし彼らは、イエス様に信頼し、「どこに準備しましょうか。」と言ったのです。こうして
イエス様の指図にしたがって出掛けてみると、まさに言われた通りでした。水がめを運んでいる男
に会い、その主人にイエス様に言われた通りに話すと、席が整っている二階の大広間を見せてくれた
のです。これは、主を信じる者に、「主が先立ってやって下さる。」ということを、弟子たちが
味わった経験でした。こうして、弟子たちは、「主を信じる者は、主が成し遂げて下さる。」と
言うことを味わったのです。
C 主は、私たちに、「これから、私が、全て先立って行う。」と言って下さいました。それは、
「主が成し遂げて下さる。」と言うことの始まりです。いよいよ、「聖書に書いてあることは、
今日も起こる。」と言うことを証しする時がやってきたのです。そして、今私たちは、主が
先立って行って下さることを味わい始めました。
ですから、私たちは、これから、ただ主を信頼して、言われた通り「やります。」と言えば
ちゅうよう
いいのです。信仰とは、“イエス”か“ノー”、かの、いずれかを選択することです。その中庸は
ありません。“やる”のか“やらない”のかです。私たちは、イエス様がされたように、自我を
明け渡して、「私の願いではなく、御心の通りにして下さい。」というべきです。そして、「ハイ
やります。」と答えて行くのです。何故なら、これが、主に信頼することであり、そこから、
主が、「全てを先立ってして下さる。」ことを味わうからです。
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