@ 今朝は、御霊の働きについて学びたいと思います。
A さて、ここにペテロが牢から導き出される様子が記されています。
彼が牢から導き出されるのは、これが二度目です。一度目は、5章17〜19節にあるように、
「主の使いが牢の戸を開き、連れ出した。」とあります。その時は、主の働きが始まったばかり
で、彼らの身に危害が加えられるというような状況には未だありませんでした。しかし今回は、
使徒ヤコブが殺され、ペテロの命も取られかねないという危機的な状況下にありましたので、
牢の警戒態勢も厳重を極めていました。しかも彼は、二本の鎖につながれ、四人一組の兵士四組
に監視されていたのです。ですからペテロは、今度は自分かと覚悟をしていたことでしょう。
それ故に、教会も熱心に祈っていました。ところが、この絶体絶命と思われた危機的状況が打ち
破られていったのです。
B では、ペテロがどのようにして救出されていったのかを見ながら、御霊の働きについて
考えてみましょう。この時ペテロは、二人の兵士の間で寝ていました。すると突然、主の使いが
現れ、ペテロを起こし、「急いで立ち上がりなさい。」と言ったのです。すると鎖が落ちました。
御使いに促されるままに、帯を締め、くつをはき、上着を着て、御使いの後について行くと、
門が開かれ、ついに町の通りに出たのです。彼は、幻を見ているかのように思われたのですが、
我に返ったとき、主が救い出してくださったことが分かったのです。実に主は、兵士たちの目を
曇らせ、目に見えなくされ、不可能と思われた鉄の門をいともたやすく開かれ、救出されたの
です。
私たちの教会も、一たび主が働かれると、一つ一つの門が開かれていくことを、教会堂建設の
ときに体験致しました。融資の件について言うなら、或る銀行では門前払いだったのが、他の
銀行では、支店長の心に主が働かれ、その心が開かれて融資の道が開かれました。それによって
土地購入の門が開かれ、建設においても、開かれた心を持った建設会社の人に出会わされ、会堂
が完成したのです。実に、主が全ての門を開いてくださいました。今回も、玄関前の改装工事
から始まって、物置取替え作業、テラス、塀の工事、パネル設置等がみな開かれて行きました。
「主がその時だ。」と言われるときには、あらゆる問題点がクリアされて、ポンポンポンと出来
上がって行きます。主が開かれるのは、このような目に見える門だけではありません。私たちの
目には見えない心の門をも開くことがお出来になるのです。福音を聞いて頭で分かっても、心が
ついて行かないと受け入れることが出来ません。しかし聖霊が働かれると心に入るのです。
また、自分で自分の心がどうにもならないときでも、聖霊がその人の心に働かれると、自分では
超えることの出来なかった心の門を超えさせてくださるのです。こうして、自発的な心の動きが
出てくるのです。
C 聖霊の働き無くしては何も起こってきません。その聖霊の働きが起こされるために、最小限
必要なものは、“空っぽの器”です。「自分の力では何も出来ませんから、主よ、助けてくだ
さい。」と、遜って行く時、あらゆる門が開かれて行きます。それは一瞬です。この事実を
覚えて、御霊の働きによってすべてがなされていくよう、信頼していきましょう。 |