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2004年 NO.67




『私が何者なのでしょう』 


「私はいったい何者なのでしょう。

パロのもとに行ってイスラエル人をエジプトから連れ出さなければならないとは!」

                              (出エジプト3:11)



 この時、モーセは80才でした。 すでに老人になっており、若い時の気力を失っていました。

もし主が、40年前に声を掛けて下さっていたなら、喜んでイスラエルの解放のために働いたでしょ

う。しかし「今さら、エジプトに出かけて行って、民を連れ出せ。とは、私はいったい何者なので

しょう。」というのが、この時のモーセの本心であったでしょう。

 しかし、これが、神様が人を用いる時の方法です。神様は人間の肉の力を用いません。むしろ

「私が何者なのでしょう。」と思う時になって、初めて「今、行け。わたしはあなたをパロのもとに

遣わそう。」と仰るのです。
なぜなら神様の仕事を、人が自分の力でやったら、人が神のように誇っ

てしまいます。人が自分の仕事を自分の力でやって誇るのは自由です。しかし、神様の働きは、神様

の力、神様の権威を現わす働きですから、人の肉の力は無用なのです。ですから私たちが、空っぽの

器とされた時、用いて下さるのです。



                                    



     
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