「エソウは、『見てくれ。死にそうなのだ。長子の権利など、今の私に何になろう。』と言った。
・・・こうしてエソウは長子の権利を軽蔑したのである。」 (創25:32〜34)
物事には、人間の側から見た真理と神の側から見た真理の二面性があります。神の存在を認めない
世界では、人間の一方の側から見た一面だけを真理として見ようとします。エソウは、「見てくれ、
死にそうなのだ。長子の権利など今の私に何になろう。」と言って、長子の権利を自分の側からしか
見ようとしませんでした。しかし、それは神様の側から見たら、大変な損失を被ることです。逆に、
ヤコブは、人間の目から見たら、ずる賢く、抜け目のない人だったことでしょう。しかし、彼は、
し
神の目から見た永遠の嗣業(長子の権利)を、この上もない祝福と考えたのです。ですから、人間の
こうかつ
目には狡猾に見えても、神の目には、長子の権利を軽蔑するエソウより、ヤコブの方がアブラハムの
信仰を受け継ぐにはふさわしい人物であったのです。イエス様は、「不正の富で、自分のために友
をつくりなさい。そうしておけば、富がなくなった時、彼らはあなた方を永遠の住いに迎えるので
す」と言われました。(ルカ16:9) 私たちは、どんなことがあっても、長子の権利を軽蔑して
はいけません。たとえ、お腹が空いて、死にそうになったとしてもです。なぜなら、たとえ死んでも
永遠の住いに迎えられるのですから。だからまず神の国と神の義を、第一に求めていく心を、この上
もない大切なものとしていきましょう。
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