教 会 案 内 牧 師 紹 介 定 期 集 会 特 別 集 会
定 期 メ ッセージ  シ ョ ー ト メッセージ 福 音 の 話
行   事 教 会 新 聞 掲 示 板 リ ン ク 事 務 室
 

2004年9月12日

                                                                                 
「百人隊長の信仰の心」

マタイ8章5〜13節

                        

@ 今朝は、イエス様が、「わたしはイスラエルのうちのだれにも、このような信仰を見たことが

ありません。」と言われた、百人隊長の信仰の心について学びたい
と思います。
 

A さて、イスラエル人は、神に一番近くにいた信仰の民であったのに、皮肉にも異邦人である
                  あつ
百人隊長の方が、「イスラエル人よりも篤い信仰だ。」と誉められているのです。それは、何故
 
でしょう。イエス様は、彼のどこに目を留められたのでしょうか。

 私たちは、彼の信仰を具体的に知る事によって、自分自身の信仰に足りない所は何かを、考えて

いきたいと思います。


B では、百人隊長の信仰について見てみましょう。 彼は「自分は権威の下に服する者です。」

と言っています。事実彼は、兵士としてローマ皇帝に忠実に仕え、命令に対する絶対的服従を

訓練されてきた人です。もし上官に命令されるならば、自分の感情や自分の考えに立たず、忠実
 
に命をかけて服従してきました。
上に立つ者にはその権威が与えられているからです。 秩序と

統率の無い軍隊では、力を発揮して戦いに勝利することはできません。ですから、彼は命令

(言葉)一本で従う事を長年訓練されてきましたから、上からの言葉はそのままであると、身に

染み込まされて来ました。その上、彼にも部下がおり、彼の命令一本で忠実に、言葉通りに働く

兵士を持っていました。ですから、彼はイエス様に、 「ただ、おことばをいただかせてくださ

い。」と言ったのです。 彼がそう言ったのは、文字どうりイエス様を権威あるお方と認めていた
 
でしょう。
確かに、弟子たちや他のユダヤ人たちも、イエス様を権威あるものとして認めていたで

しょう。しかし、それはモーセのような解放者としての人間の権威でありました。 ところが百人

隊長は、イエス様は皇帝以上の方、すなわち、神としての絶対的権威を持つお方として見ていた

 
のです。ですから、「お言葉だけで十分です。」と答えたのです。イエス様は、どんなことでも、

私たちが「神の御言葉は、その通りになる。」という信仰を持って従うことを願われるので、

この百人隊長の信仰を誉められたのです。


C もし、私たちも、イエス様を絶対的権威者として、はっきり認識しているなら、もっとはっ

きりした従い方をするのではないでしょうか。 百人隊長のように権威者に従うことが当たり前に
 
なっているなら、従う世界と、従わない世界の二つを併せ持つ事はしません。もし、「自分が

嫌なら従わない」というなら、自分が一番上の権威者になるのです。私たちが、百人隊長のよう
 
な心を身につけていくなら、自ら進んでイエス様一本で、仕えて行こうとする献身の道に進む

はずです。
そして、私たちが、自分自身をイエス様の栄光のために用いられたいと心を定め、

百人隊長の信仰に習うなら、イエス様は、私たちを高い信仰のレベルに引き上げて下さいます。

そうすると、イエス様の行なわれる素晴らしい御業を見て、父なる神を褒め称えていく者となる

でしょう。私たちの願いが、神の御業をつぶさに拝して、喜んでいく者でありたいなら、この

百人隊長の信仰に習って、イエス様に答えていく者とされて行きましょう。

 


                      

                               

 *メニュー
      * 教 会 案 内
      * 牧 師 紹 介
      * 定 期 集 会
      * 特 別 集 会
      * 定期メッセージ
      * ショートメッセージ
      * 福 音 の 話
      * 行       事
      * 教 会 新 聞
      * 掲  示  板
      * リ  ン  ク
      * 事  務  室