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2004年8月15日

                                                                                 
「肉のこだわり」

ヨハネ6章22〜35節

                         

@ 今朝は、私たちの信仰を妨げる肉のこだわりと、そこに留まろうとするかたくなさを捨て去ると

き、神様は栄光を表わして下さる方である
ことを学びたいと思います。



A さて、イエス様は、「わたしはいのちのパンです。」と明言されました。それは、神から遣わされた

いのちのパンであり、一度食べたら永遠に生きることの出来る「命のパン」であると言われたので

す。しかし人々は、イエス様の方に来ませんでした。彼らには、メシヤについてのこだわりがあった

からです。


B では、彼らのこだわりとは何だったのでしょう。それは、イエス様を大工ヨセフの子と見た事で

す。彼らは、どこまでも肉の目にこだわり、肉の目で見ようとしたのです。次に、イエス様の出身地で

す。彼らの知識によれば、神から遣わされるメシヤは、ユダヤのベツレヘムから出るのであって、

ガリラヤのナザレではありませんでした。だから、イエス様が語り、その業を見ても、心を開こうと

しなかったのです。このようなユダヤ人たちに対してイエス様は、ご自分の誕生した地はベツレヘム

であると、一言も弁解されませんでした。救いを必要とする者、それに価値を置く者は信じるが、そう

でない者は、たとい理屈を明白に言われても、信じようとはしないからです。
しかし、そのような者

達に対して、イエスさまは、「たといわたしの言う事が信じられないなら、わざを信用しなさい。それ

は、父がわたしにおられ、わたしが父におる事を、あなたがたが悟り、また知るためです。」と言われた

のです。それでも彼らは、肉のこだわりに留まって心を開こうとはしませんでした。この肉の頑なさ

が信仰を妨げているのです。そして、彼らはイエス様を拒否し、殺しました。

 しかし、その心に満足感はなかったのです。しかし、イエス様に心を開いた人たちはどうだったで

しょう。あの生まれつき盲人だった人は、イエス様の側に立って証言して言いました。「もしあの方

が神から出ておられるのでなかったら、何も出来ないはずです。神は罪人の言う事をお聞きに成り

ません。」と。信じる信仰に立ち、信じて幸いを得たのです。私たちも肉のこだわりを捨てて、自ら

の救いの必要を覚えるなら、イエス様の業が神から出ている事が、はっきりと見えてくるのです。



C イエス様は、死んでから四日も経ったラザロを甦らされました。その時イエス様は、マルタと

マリヤに今、正にラザロは生き返るのだという事を信じて、神の全能の御力とその栄光を見るよう

にと願われました。しかし彼女達は、目で信じれる世界だけの信仰に留まっていましたから、イエス

様が、死んだラザロを甦らされるとは信じてもいな かったのです。同じように私たちも、自分の肉

の目で見て、神の無限の御力を制限してしまうのです。その不信仰の根は、肉のこだわりと頑なさで

す。即ち、自分の考え、知識、プライドが信仰を妨げるのです。もしこれらのこだわりを捨て、心を開い

ていくなら、神は、栄光を表してくださるのです。そして、自分達の制限を越えた神の業を見、その幸

いを味わう者とされるのです。「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る。
」と言われる

イエス様を信じて、その中に飛び込んで行きましょう。
 

                      

                               

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