教 会 案 内 牧 師 紹 介 定 期 集 会 特 別 集 会
定 期 メ ッセージ  シ ョ ー ト メッセージ 福 音 の 話
行   事 教 会 新 聞 掲 示 板 リ ン ク 事 務 室
 

2004年8月1日

                                                                                 
「ヨハネの生き様」

ヨハネ3章22〜36節

                         

@ 今朝は、バプテスマのヨハネの生き様を通し、私たちは、自分の栄光ではなく、神の栄光を現わす

ために生きている者である事を、学びたいと思います。



A さて、ヨハネはイエス様を、「この方が神の子である。」 と証言しました。その後イエス様は、

ユダヤの地でバプテスマを授けていました。これを見たヨハネの弟子たちは心を騒がせ、師である

ヨハネに言いました。 「みなあの方のほうへ行ってしまいます。」 それに対してヨハネは言いまし

た。 「人は、天から与えられるのでなければ、何も受ける事は出来ません。あの方は盛んになり、私は

衰えなければなりません。」
と。群衆がイエス様の所に行くのを見て、ヨハネの弟子たちは寂しく思い

ました。しかしヨハネは、「神から与えられた自分の務めを全う出来たらそれでよい」と思っていた

のです。ですから、群衆が自分の方に来なくなっても、それで落胆する事はなかったのです。それどこ

ろか彼は、花婿(イエス様)の友人として、その声を聞いて大いに喜び、心は喜びで満たされていたの

です。



B では、ヨハネのこの生き様から、神に喜ばれる生き方について考えてみましょう。 彼は、メシヤ

の道備えをし、証言するという働きをするために生まれて来ました。祭司という豊かな家庭に育ちま

したが、荒野で生活し、訓練されたのです。彼は自分の分をわきまえておりましたから、メシヤである

イエス様の上に立とうとはしませんでした。むしろへりくだり「あの方は盛んになり私は衰えなけ

ればなりません。」と言ったのです。彼にとって、自分の務めを全うし、神の栄光を表す事が全てであ

り、この世で自分が誉められ、自分の栄光を表すために生きたのではありませんでした。
この働きが

終わると、彼はヘロデに捕らえられ、斬首されてその生涯を終えます。彼は、自分の満足のためでは

なく、ただ神の栄光のために生きようとしました。この心の姿勢が神に喜ばれていたのです。

 ところが私たちの多くは、「信じることは、イエス様は、自分の思い通りに働いて助けてくださる

ことだ。」と考えているのです。 ですから、「イエス様を信じたら、罪を犯さない、いい人間になっ

て、皆に誉められ認められたい。」とか、「自分に都合よく助けてもらって、良い仕事をして認めら

れたい」とか、自分がこの世で英雄になる事ばかりを考えているのです。しかも、それが信仰だと

考えているのです。ですから、そのように助けてくれない神はいらない、となってしまうのです。

それは、天地を創られた主権者なる神を自分のしもべとすることであり、神を利用しようとする

傲慢な心です。もし、神の存在を本当に信じているのなら、ヨハネのように、「神の御心のままに使って

くだされば、それでいい。」と、へりくだっていくではないでしょうか。 逆境の中にあっても、そこ

に神の御手があるのですから。



C 私たちは、自分の栄光を表すために生きているのではありません。魔術師シモンはイエス・キリ

ストをを信じてからも、金で神の賜物を手に入れようとし、「あなたはまだ苦い胆汁と不義のきずな

の中にいる。」と。叱責されました。
私たちは自分の名誉のために救われたのではありません。

神の栄光を表していくために召されたのです。

                      

                               

 *メニュー
      * 教 会 案 内
      * 牧 師 紹 介
      * 定 期 集 会
      * 特 別 集 会
      * 定期メッセージ
      * ショートメッセージ
      * 福 音 の 話
      * 行       事
      * 教 会 新 聞
      * 掲  示  板
      * リ  ン  ク
      * 事  務  室