「神の御霊を受けている!」
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Tコリント2章6〜16節
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@ 私たちクリスチャンの生きる道は、内住する神の御霊に聞き従って行こうとする決断にありま
す。今朝は、この生き方について学びたいと思います。
A さて、聖書ははっきりと、この世の知恵で神の知恵を悟ることは出来ない、と断言しています。
何故なら、 隠された奥義としての神の知恵は、「目が見たことのないもの、 耳が聞いたことのない
もの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。」であり、御霊によって啓示されたものだから
です。ですから、神の知恵は御霊によらなければ、知ることは出来ないのです。クリスチャンは、この
神の知恵を知るための、神の御霊を頂いているのです。御霊を受けている人はキリストの心を持っ
ていますから、神の真理を解き明かされると嬉しくなり、喜ぶのです。 しかし、私たちの中には、
生まれながらの肉の心もあわせ持っていますから、それがまた御霊の声に対して邪魔をするので
す。
きれい
B では、この相対する二つのものを持っている私たちが、信仰一筋という信仰の奇麗事の中に歩ん
でいくためには、どのような心構えが必要なのでしょうか。
まず、神のメッセージは、「御霊によって歩みなさい。」とあります。これは、教会に居る時だけの事では
なく、家庭・仕事場・学校など、日常の生活に対して言われている事です。私たちはともする
と、教会では御霊に教えられ、感動し喜んでいても、家に帰ると、生まれながらの肉の性質を丸出し
にして、ぶつかったりするのです。 私たちには、教会から一歩外に出ると、世の人に合わせて仕事
をしたり、行動したりしてしまう弱さがあるからでしょう。しかし、そこに留まっていては、信仰
一筋で生きていくことは難しいのです。神が私たちをキリストの血によって贖い、御霊を下さった
のは、御霊に従って歩む生き方をするためです。 「御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考
えます。」 と言われているように、自分の全生活の中にあって、ひたすら、御霊の考えで歩んでいく
ことを、神は願っておられるのです。それはまた、私たちの願いでもあります。
にもかかわらず、私たちの中にそうでない時があるのは、自分自身の意識をボヤッとさせ、自分に
とって都合の良い生き方をしようとしているからです。ボヤッとした意識でいると、悪魔が肉の
思いを満たすように働いて来ていることさえも、気づけなくなってしまうのです。 そこで、もう
一度、私たちの意識をはっきりさせましょう。神の御心は、いつでも、どんな時にも、「御霊によって
歩みなさい。」なのです。
C 私たちは、「御霊に聞いて行くぞ。」という意識をはっきりさせて行くなら、とくべつな時だけで
なく、いつも御霊の声を聞いて御霊によって歩んでいく事が出来ます。何故なら、私たちは、いつで
も御霊の声を聞こうと思えば、聞けることを知っているからです。ですから、その決断を、いつも
していけばいいのです。神の御霊を受けたという事は、すごい恵みです。この恵みの中に歩まない
手はありません。私たちクリスチャンの生きる道は、御霊によって生きる事です。自分の意志によっ
て決断し、その中に生きて行こうではありませんか。
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