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2004年2月1日 |
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たと 「十ミナの譬えから」 |
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ルカ19章11〜27節 |
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たと @ 今朝は、イエス様が語られた十ミナの譬えから、イエス様が王として来られるのを待ちわびて いるクリスチャンは、どのような心を持ってこの地上を生きて行くべきかを学んでいきたいと思い ます。 たと A さて、イエス様がこの譬えを語られたのには訳がありました。この時イエス様は、十字架につく ためにエルサレムに向かって進んでいました。ところが人々は、イエス様が、ダビデ王やソロモン王 たちと同じように、イスラエル王国の樹立を宣言するためにエルサレムに向かっているのだと考 え、喜んだのです。そして神の国はすぐに来ると期待し、諸外国の圧制から救ってくださると思った のです。ここに、ユダヤ人とイエス様の間に深刻な神の国についてのズレがありました。そこで イエス様は、地上ではない真の神の国に生きることを教えるために、王位を受けて帰るために旅立っ て行く主人と、主人の帰りを待つ、しもべの譬えを語られたのです。 たと B では、譬えを見て見ましょう。 まず、王位を受けて帰るために旅立った人とは、イエス様の事で たと す。そして、一ミナずつ与えられたしもべとは、私たちクリスチャンの事です。 タラントの譬えで は、与えられたタラントの額に違いがありました。しかしここでは、皆平等に一ミナ与えられていま す。それは、旅立ったご主人が帰るまで、商売をするために皆平等に扱われていることが分かりま す。そしてイエス様が再びこの地に来られる時は、与えられた1ミナをどれだけ忠実に増やした かを見られるのです。即ち、神様から頂いた信仰を如何に働かせて証しを立てたのか、また、如何に 神に忠実に従って生きたのかを見られるのです。ということは、クリスチャンの証しがどんなに大 切かが分かってきます。ですから、もし救いに預かったまま、証しをしないなら、それは、ふろしき に包んでしまっておいたことになり、そのような信仰は、取り上げられ、クリスチャン人生は無 意味になってしまいます。天地万物をお創りになった神が存在するなら、死んで終わりではありま せん。 私たちがどのように生きたかを、必ず清算される時がくるのです。ならば、価値ある生き方 というのは、「ただ今、幸せであればいい」とか、「今さえよければいい」、というようなものでは ありません。それは、死んだ後の神の国で、どう評価されるかを考えて生きていくかという事で す。この地上で自分の身を守った生き方をするなら、ふろしきに包んだ人生であり、全て枯れて終 わってしまう空しい人生となるのです。しかし私たちクリスチャンには、この地上で終るのではな く、永遠の御国に入り、天上の体を持つ約束があります。だからこそ、枯れていくこの地上のためで はなく、永遠の御国のために真実に、なりふり構わず大胆に主の証しを立てて生きて行くことです。 C 一ミナで十ミナ儲けた人は、困難と苦しみに立ち向かっていった人です。私たちも新しい展開に 導いてくださる主に対し、「神の御心が立つなら良し。」との捨て身の心をもって困難と苦しみに立ち 向かって行こうではありませんか。そして、今こそ牧師と苦しみを共にし、キリストのために生き て行く勇敢な兵士となって行こうではありませんか。出来ないという不信仰の矢をへし折り、教会 が一丸となって立ち上がって、神の全能の働きを味わって行きましょう。 |
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