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2004年1月4日 |
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「大人の信仰」 |
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ルカ8章1〜15節 |
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たと @ 今朝は、種蒔きの譬えから、私たちは「良い地」に蒔かれた種であることを知り、その自覚の下 に、私たちがみな、「キリストの満ち満ちた身丈にまで達する。」おとなの信仰者について学びたいと 思います。 A さて、新しい年に私たちに与えられた御言は、エペソ4章13節です。それは、「神の栄光が立つ なら良し!」との心を持って、自分にこだわらない大人の信仰を持ち、歩んで行こう、ということで たと す。そこで種蒔きの譬えから、私たちの信仰の土台はどこにあるのかを見てみましょう。ちなみに、 蒔かれた種とは、神の御言の事です。 B では、種が落ちた四つの場所と種の行く末についてみて見ます。先ず初めの種は、「道端」に落ち ました。それは、御言を聞くには聞いたけれども、信じて救われることが無いようにと悪魔がやって 来て、心から御言を持ち去られてしまった人のことです。ですから、信じませんでした。 次の種は、「岩の上」に落ちました。この人は、喜んで信じましたが、自分の思い通りにならないこと が起こってきた時、「神を信じているのに、なんでこうなるんだ。」と不満に思い、神から去って行った 人のことです。 さらに3番目の種は、「いばらの中」に落ちました。この人は、世のいろいろなものに心を使い、 神様への心が希薄になり、ついには神様から離れてしまうのです。私たちの教会には、これまで多 くの人々が訪れ、御言を聞きました。 しかし聞くだけで去った人もいますが、御言を信じて受け 入れ、共に協力して働いた人もたくさんいました。 しかし、残ったのは、今ここにいる私たちだけです。では、残った私たちには苦しみや困難が無かっ たのでしょうか。いいえ、私たちは去った者たち以上に、苦しいところを通って来たのです。 特に この十年間は、多くの厳しい取り扱いと訓練を受けてきました。しかし神は私たちを支えて下さい ました。そして、どん底にあっても真実な神を見上げていく不動の信頼を持つようにと、私たちを 訓練してくださったのです。そして、この訓練から離れる者は一人もいませんでした。 このこと は、私たちが実を結ぶための、良い地に蒔かれていた種だったからです。 C そこで今年、神様は、新しい展開へと私たちを導いてくださると約束して下さっています。 そして、大いに喜びを増し加え、大いなる刈り入れの年として下さると言われています。それは、 私たちが、忠実な神の兵士として働くことから始まります。その時に必要なのは、「神の栄光が立つ ならよし。」と、自分にこだわらない大人の信仰に立つことです。たとい失敗しても、神が私たちと 共におられるのですから、弱気になって後ろ向きにならず、どこまでも主に信頼していく大人の 信仰によって、タフで前向きに前進して行くことです。自分を守ろうとしたら、それは出来ませ ん。神の御心は、「完全な大人になって、キリストの満ち満ちた身丈にまで達すること。」です。 だから、たとい逆境になっても弱気にならず、「神の御心ならばそれで良し!」という大人の信仰を もって、実を結んでいきましょう。私たちは、良い地に蒔かれた種なのですから。 |
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