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2004年1月11日 |
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「神の御心なら良し!」 |
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ルカ10章25〜37節 |
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@ 今朝は、「神の御心なら良し!」という信仰に立つ事について学びたいと思います。 A さて、私たちは、この新しい年には、新しい展開が起こってくるという約束を頂きました。 しかし、それは棚ぼた式に起こって来る訳ではありません。決断とそれに伴った行動が必要です。 その決断とは、アブラハムがイサクをささげると決めた時の決断です。アブラハムにとってイサク は、長年待ち望んだ独り子です。ですから、彼を失うことは、神の約束を信じて歩んだ人生を失う ことです。だから、「手放したくない。」、「そんなこと出来ない。」という強い心のしがらみがありま した。しかし、この難しいチャレンジに対してアブラハムは、はっきりと心の決断をしたのです。 それは、「神の御心ならそれでいい。神の御心が立つならそれでいい。」という決断でした。そして、 その行動をとった時、「アドナイ・イルエ。主は備えたもう。」という新しい展開が起こってきたので す。神は、イサクの代わりに一頭の雄羊を備えてくださったのです。新しい展開は、私たちが自分の 思いにしがみつくのを捨て、神の御心に従った時に起こってくるのです。これは、やってみなければ 経験できない事です。 B では、実践する行動について考えて見ましょう。ある律法の専門家がイエス様の所に来て言い ました。「何をしたら永遠の命を受けることが出来るのでしょうか。」イエス様は、『あなたの隣人を あなた自身のように愛せよ。』と言われ、例話を語られました。それは、強盗に襲われ瀕死の重傷を 負わされた人に対する、三人の対応の違いについてでした。祭司とレビ人は、倒れている人を見る と、反対側を通り過ぎて行きました。ところが、あるサマリヤ人は、彼を見てかわいそうに思い、救急 介護をした後で、宿屋まで連れて行き介抱したのです。翌日、宿屋の主人にお金を渡して言いまし た。『もっと費用がかかったら、私が帰りに払います。』と。イエス様は言われました。 「三人の中で だれが隣人になったと思いますか。」と。彼が、「あわれみをかけてやった人です。」と言うと、主は言わ れました。「あなたも行って同じようにしなさい。」と。祭司とレビ人は、血を流している人に近づいた ら、自分が汚れてしまうと考えて、自分を守り、近づかなかったのです。しかし、混血の民として嫌 われていたサマリヤ人は、外見や損得をかまわず、助けました。もし私たちが、自分の外見だけを気 にして自分を守ろうとするなら、何も出来なくなります。臆病な心を捨て、なりふり構わずにやれば いいのです。 すなわち、「神の御心ならよし」という信仰に立ってやるのです。私たちのオーナーは天地の創造主 なのですから、その方の御心の中に飛びこんで行けばいいのです。 C 私たちが信仰を働かせ、 「神の御心なら良し」 とその中に飛び込んでいくなら、新しい展開が 起こって来ます。自分の打算に立って、躊躇し、ビビって尻込みするなら、何も起こってはきませ ん。そんな信仰では、無いと同じです。意識を変えて、神の御心の中に、自分の方から飛び込んで 行きましょう。何故なら、私たちに与えられた信仰は、臆病の霊ではなく、力と愛と慎みの霊だか らです。 |
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