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2003年8月3日


ダビデの罪の告白


詩篇51篇1〜9節


@ 今朝は、ダビデの罪の告白から、イエス・キリストの罪の赦しと、救いについて学びたいと思い

ます。


A さて、この詩は、イスラエルの王であったダビデが罪を犯し、それを指摘された時に歌った詩で

す。ダビデは正直に告白しています。「私は自分のそむきの罪を知っています。私の罪は、いつも私の

目の前にあります。」と。私たちもダビデと同様に自分の罪を知っています。たとい表面に出なくて

も、私たちは心の中で悪しき事を考えるのです。
ですから、もし自分の額にテレビ画面が付けられ、
                           かっぽ
心で考えたことがそのまま映し出されたら、私たちは街の中を闊歩出来るでしょうか。 もし死ん

で、神の御前で生前の行い、心の思い、頭で考えた妄想などが全部スクリーンに映し出されたなら、

どうでしょうか。私たちは恐れと、恥ずかしさでいたたまれなくなるのではないでしょうか。 罪の

無い人は一人もいません。しかし、私たちは、あたかも罪が無いかのように装い罪を隠すのです。

そのために、嘘に嘘を重ねて偽りの自分を作り上げて行きます。ですからそむきの罪の苦しみが、

いつも私たちの目の前にあるのです。



B では、罪の苦しみから解放されるには、どうしたらよいのでしょうか。

この51篇が詠まれたいきさつはこうです。ダビデは、部下の兵士ウリヤの妻であるバテシバを、

夫が戦場に出て戦っている時に召し入れ、妊娠させてしまいました。その卑劣な罪を隠そうと、策を

練った挙げ句の果てに、忠実な自分の兵士であったウリヤを激戦地の最前線に連れ出し、殺してし

まったのです。このような陰謀が隠密裏に実行され、上手く行ったと思われたその策略の全てを、

知っておられる方がいたのです。その神は、預言者ナタンをダビデの許に遣わし、隠されていた罪を

指摘し暴かれたのです。その時ダビデは初めて、自分の罪の全てが知られていると分かり、恐れを

覚えました。そこで正直に自分の罪を認め、告白して祈ったのです。私たちも、人に知られたら恥ず

かしいと思うことをたくさんやってきました。心に思ったことや、考えたことまでも明らかにされ

たら、いたたまれなさと、恐ろしさを覚えるはずです。神の前に隠しおおせるものは一つも無いの

です。実に私たちは、「咎あるものとして生まれ」たのです。ですから、もし罪が無いと言うなら、その

人は大嘘を言っているのです。ダビデは自分の罪を正直にありのまま認めて祈りました。 「どうか

私の咎を、私から全く洗い去り、私の罪から、私をきよめてください。」と。これが砕かれた悔いし心

だったのです。神の目的は、ダビデの罪の心を砕くことだったのです。



C 私たちも、罪を告白せず、一生涯隠し続けるなら、こんな辛く苦しいことはありません。

しかし、もし情けと、あわれみによって、全ての罪が赦され洗い聖められるとしたら、なんと幸いな

ことでしょうか。自分の罪を正直に認め告白するとき、罪の圧迫から解放され、それ以上痛めつけら

れることはない平安を経験するのです。それは、神の救いがあるからなのです。
神はその救いのた

め、イエス・キリストを十字架によって、私たちの罪の贖いをしてくださいました。ですから、この方

の許に、自分の罪の全てを告白し、ダビデのように主の赦しと、救いを頂きましょう。
 





                               

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