もと
@ 今朝は、イエス様が父の許に帰られたことによって、私たちに与えられた幸いについて学びた
いと思います。
ばんさん
A さて、イエス様は十字架にかけられる前日に、弟子たちと最後の晩餐をされました。その時主
は、イスカリオテ・ユダの裏切りによってこの世を去って行くことを知られ、弟子たちに遺言を語
られたのです。それは、彼らと、のちにイエス様を信じるようになる私たちに対するものであり、慰
めと励ましと希望を与えるためのものです。ですから、その御言を心に留めるなら、私たちも幸いを
味わうのです。
B では、イエス様は私たちに何と言われたのでしょうか。 まず、「わたしの父の家には、住まいが
たくさんあります。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。」と言われました。つま
り、「わたしについて来る者は誰でも天に住むことが出来るのだよ。 だから安心して待っていなさ
い。 場所の用意が出来たら迎えに来るからね! それは、あなたがたを、わたしと一緒に居らせるた
めなのだよ。」と。なんと感動的で嬉しいお言でしょうか。私達が天に身を置く場所があるとは、何と
幸いなことでしょう。
しかし、この天の住まいに行くには、イエス・キリストを通して全ての罪が贖われ、赦されていなけれ
ばなりません。それは、私たち人間が全て罪人であり、義人は一人もいないからです。ですから、
次のように言われたのです。 「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。 わたしを通して
でなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」と。 その証拠に、私たちの人生の禍の
原因は、全部自分の罪から来るものです。ですから、その罪が赦され、解決されねばなりません。そ
のために、ご自分の命を捨てて私たちの身代わりとなり、罪の解決をしてくださるイエス・キリスト
を信じて、初めて天に住むことができるのです。そして、信じた者に、主は言われます。「あなたが
たがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けにな
るためです。」 と。イエス様は、十字架の苦しみを忍ばれてまでして、父なる神の御心に忠実に従わ
れ、私たちの身代わりとなって下さったのです。だからこそ、「求めなさい。何でもしましょう。」
と
言ってくださるのです。父なる神は、私たちがキリストの名によって願うなら、何でも叶えてくださ
るのです。
C イエス様は、最後の戒めとして語られました。 「あなたがたが互いに愛し合うこと、これが、
わたしのあなたがたに与える戒めです。」と。この御言から、神の願いは“愛”であることが分かりま
す。ですから、私たちの求めが愛の動機から求めていくことを願っておられます。その祈りが叶えら
れる保証は、ロマ書8章31、32節の御言です。神が私たちの味方なのです。大胆に祈って行きま
しょう。 祈ったことを主に委ねて信頼して待ちましょう。主は、天の父の右の座におられ、何でもし
ましょう、と言われるのです。この特権を信じて祈り、その幸いを味わっていきましょう。
|
|