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2003年4月6日 |
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「神の救い」 |
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ルカ16章19〜31節 | ||||||||||||||||||
@ 今朝は、私たち人間に示された「神の救い」について学びたいと思います。 A さて、イエス様は、ある金持ちと全身おできの貧乏人ラザロについて話されました。 金持ちは、いつもりっぱな衣を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていました。貧乏人のラザロは、 金持ちの家から出る残飯をあてにしながら、その門前に寝ていました。 ところが、この二人とも死にました。そして、ラザロは慰めの場所天国に、金持ちは地獄に行ったの です。金持ちは言っています。「私は、この炎の中で、苦しくてたまりません。」と。私たちは皆、苦しみ の場所ではなく、天国に引き上げられたいと思うはずです。 |
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B では、どういう人が天に行き、どういう人が地獄に行くのでしょうか。 一言で言うなら、正しい人が天に行き、悪人が地獄に行くのです。しかし誰が、「自分は正しい人間、 立派な人間」と言えるでしょうか? 私たちは自問自答してみる時、はっきりと「天に行ける。」とは 断言できません。なぜなら、私たち人間には、無傷な人、一度も悪を行ったことのない人など、一人 もいないからです。確かに、人前では、やさしく、親切な人、正義感に満ちている人もいるかもしれま せん。しかし、家に帰ればわがままだったり、怒りっぽかったりするのです。それは丁度、コップの底 に泥の溜まっている水にたとえる事が出来ます。何事もない順風の時はコップの中の水は澄んで います。ところが、自分にとって嫌なこと、傷付けられること、赦せないことなどが起こって来ると、 心がかき乱され、つい怒りぽくなります。 それは丁度、コップの底に沈んでいた泥がかき回されて 汚い水になってしまうのと同じです。コップの底に沈んでいた泥は、私たちの罪そのものなのです。 ですから、かき回された時、私たちの持っている罪の性質が出てくるのです。 この事から分かるように、罪のない人は一人もいないのです。神は、私たちの行いを全部見ておら れますから、やがて死がやって来た時、全ての行いの清算がされるのです。 しかし神は、こんな私たちでさえ見放してはおられません。こんな罪人も、神の慰めの場所に行く ことのできる道があるのです。それは、私たちの罪が帳消しにされ、神の慰めの場所に行く切符を 得ることができるからです。それが、ここに書いてある聖書の福音です。 |
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C では、どのようにすれば、神の慰めの場所に行くことが出来るのでしょうか? 神は言われます。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは 過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」と。 私たちを新しくして下さるイエス様を、神は人間を救うために遣わされました。そして、私たちの身代 わりのために、十字架につけられ、私たちの罪の代価を全部支払って下さったのです。ですから、 この事実を信じ受け入れる時、ただ恵みによって救われるのです。何故なら、救いは神様の側に おいて、全部成し遂げられている救いを『ハイ』と言って受け取るだけなのです。それは、キリストの 恵みによって新しくされた者だけが、天国へ行ける永遠の命をいただけるからです。 こうして神の愛が私たちに注がれているのですから、神の慰めの場所に入れていただくために キリストを受け入れ、恵みによって神の救いに預かりましょう。 |
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