『信仰の原点に立つ』
箴言16章1〜9節
@ 今朝は、信仰の原点に立つ生き方について学びたいと思います。
A さて、私たちは、子供の頃から兄弟喧嘩や近所の子供同士とのぶつかり合いを通して、
自分勝手な自分を思い知らされ、そんな自分を変えたいと思っても、なかなか変えることが
出来ない自分を覚えて、悶々とした日々を過ごしてきました。そんな中で、私たちは、こんな
醜い自分のために、「神の子が償いのために命を献げて十字架で死んでくださった。」ことを
知らされ、この罪の世の中にも、「損得のない純粋な愛を注いでくださる神様がいるなら、
自分もその方に習って生きていきたい」と思ったのです。そして、イエス・キリストを
「信じます。」と言ったとき、自分のような者も愛されていることが分かり、こんな愛が本当に
あるのなら、この生き方を自分も試してみようと思いました。これはキレイごとの世界です。
しかし、「この生き方は、背後にあって助けてくださるお方がいらっしゃるので、自分たちでも、
損得を考えず、神だけに頼って生きる生き方が通用するはずだ。」と思い、その精神を持ってき
ました。ところが、今回バイブルランドのとてつもない計画を持ったとき、その目的達成のため
には、この世の企業家の力を借りて実現したほうが、実現が可能になるとアドバイスされ、
ただ神にのみ頼っていこうとする思いと、現実的に考えて可能性をさぐっていく、二つの心の
葛藤が起こってきたのです。
B では、何の財力も持たない私たちが、どのようにして主にのみ頼ってやっていくやり方を
していったらよいのでしょうか。そのヒントは箴言16章1〜4の御言にありました。ここで
分かることは、全てにおいて信仰の原点に立てばいいということです。その答えは、
「神から頂きなさい。」です。「神が下さる」という約束があるからです。
又2節には、「主は人のたましいの値打ちをはかられる。」とありますから、私たちの命の存在の
値打ちは、「命の主のみ心に沿った計画と生き方をする。」ということです。
即ち、主人公は自分ではなく、いのちを与えて下さった創り主が、主人公であるということ
です。ですから、「人間的な計算で、てっとりばやい方法でするのではなく、いのちを与え
られた方に委ねて任せる生き方をしていきなさい。」と言われているのです。
「主はすべてのものを、ご自分の目的のために造られた。」からです。
この信仰の原点に立って、主に委ねて行なう時、主が私達に先立って協力者を起こしてくだ
さり、又資金も主自らが、先だって資金を提供してくださる方々を起こして下さるのです。
私たちは、生まれながらに自分の命は自分のものと思っておりますから、自分の考えで
てっとりばやくやりたいという願望を持ってしまうのです。しかしそれは100%間違って
います。私たちは自分の命を自分で造ったところは一つもなく、自分で願って生まれて
きたものでもなく、自分でコントロールできるものは一つもありません。ですから、自分の
せっかちな考えを砕き、命を下さった方の御手に従い、委ねていくのが一番なのです。
「主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。」からです。
C 主は、ご自分の目的のために私たちを生かしてくださっています。
ですから、どこまでも主に信頼して行く道を貫いていきましょう。
そして、大胆に主の働きに徹していきたい。この信仰の原点に立っていきましょう。 |
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