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2013年 NO.477




イエス様と結びつく心とは



 私たちにとって、本物の永遠の価値ある宝は、「砕かれた心」です。

地位も名誉も財産も天において何の価値もありません。それらは、すべて地上のもので、

死をもって終るものです。しかし、永遠の価値は、「心を尽くし、精神を尽くし、思いを

尽くして、ヤハウェなるあなたの絶対主を愛せよ。」という心にあります
。絶対主が

欲しいのは、心です。絶対主は「悔いし、砕かれた心を蔑まれません。」イエス様は、

絶対主のを受けて、自らの意志で私たちのところに来て下さいました。

そして、絶対主のに従い、人の罪の償いのために、命を差し出して下さったのです。

主は、言われます。「馬小屋で生まれ、大工の子として育ち、身分も名もないものとして、

絶対主に従う者であった」と。それなのに、私たちは、天で主と出会うと、主の心を

見ようともせずに、「私はこれをしました。あれをしました。イエス様、私の献げものは

どのようになっておりますか? わたしがした事を喜んでくれていましたか?」と言う者

もいるのです。たとえ、主に召された働き人でも、「これをしました。あれをしました」

と言えるのでしょうか。嘆かわしいことです。人は、生まれながらに罪人です。

ですから、
この世にあって「悔いし、砕かれた心」、「遜りの心」を掴むために、

いろいろな経験、いろいろな試み、いろいろな困難があるのです。


人は、どこまでいっても罪人です。
罪の製造機で、生まれながらの欠陥商品です。

そんな、私たちのためにイエス様は来て下さいました。

それなら「心遜って、心低くして」私たちは丁度ではないでしょうか。罪人が何をして、

認めてもらえるのでしょうか。罪人が何をして、褒めてもらえるのでしょうか。

イヤ、怒られて、叱られて、責められて丁度です。私たちはただ、こんな罪人に救いの

道が開かれたことだけで、心低くして感謝するのみです。
イエス様は、最低の人間を

救うために、あえて最低の環境を甘んじて馬小屋で産れ、最低の貧しい者さえも救って

下さる救い主として「砕かれた心」を持って下さったのです。ですから、このイエス様と

結び合わされるために、私たちが傲慢であっていいのでしょうか。
「悔いし砕かれた心」

こそ、私たちがイエス様と結び合わされる心です。


   
    



 
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