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 2013年9月29日 




『我を砕く』




 マタイ182335




(起)今朝は、「我を砕く」ことについて学んでいきたいと思います。

(承) さて、ここに1万タラントの負債のある者の譬え話が出てきますが、

私たちはこの譬え話から何を学ぶべきでしょうか。「自分も許されているのだから、

人も許してやりなさい」というメッセージはいつも聞いています。

しかし、きょうは、私たちが、どうしても学ばなければならないことに目を留めていきます。

それは、「自我を砕く」ということです。王に対して1万タラントの負債を負ったこの人は、

王のお金を遣い込みしていました。彼はそのことがばれて、「自分は大変なことを

してしまった」という悔いを抱きつつ、彼は、本当の悔い改めをしていませんでした。

なぜなら、彼は、「なんとか助かりたい。どうぞ、ご猶予下さい」と自分を守ることばかり考え、

過ちを犯した自分の罪の責任を取ろうとしませんでした。

それは、我を砕いていなかったからです。本当の悔い改めは、我を砕き、この時点で、

泣きつくのではなく、取り返しの付かない罪をしでかしたのですから、無条件にその罪を認め、

ただ、遜って謝ることしかできなかったはずです。そこにほんの少しでも、

助かりたいと思う思いがあるなら、それは、本当の悔い改めではありません。

もし、本当の悔い改めをしていたのならば、「面子を失いたくないとか、

何とか猶予して欲しい」という気持ちさえ持てなかったはずです。

ですから、これは、本当の悔い改めではありません。


(転) では、本当の悔い改めとはなんでしょうか。私は、これまで何度も何度も主からの

取り扱いを受けてきましたが、我を砕いて悔い改めた後というのは、自分自身の心が、

澄み切った青天のようになります。そこには、ゴミ一つもありません。

「自分自身の犯した罪の責任を取る」ということを心に定め、悔い改めた時には、

そのような心になり、その心はイエス様に結びつきます。

本当の悔い改めとは、そういうものです。これは、殉教者たちの心でもあります。

彼らの中にあったものは、「自分はお裁きを受けて当然です」という心であり、

「自分自身は裁かれてもいい」という、心の覚悟をもった悔い改め
がありました。

ですから、この潔い心は、すごい自由な心を生みます。それは、自分を守る心が、

完璧に自分自身の中から取り去られているからです。私たちが、主の前に出る時には、

どうしてもこの心が必要です。この後、1916節から一人の青年の話が出てきます。

彼は、小さい頃から戒めを守っていた好青年です。しかし、まだ永遠の命を受けるための

確信が持てず、「他に何が足りないのでしょうか。あと何をすれば確信が持てますか」と

イエス様に尋ねました。すると、「あなたの持ち物を売り、貧しい人々に施しなさい。

そして、私に従ってきなさい」と言われました。青年は、「そこまで求められたら出来ない」と

思い、悲しみながら去って行ったのです。このように、自分を守り、捨てたくないという

我を砕かなければ、心は真っ暗になります。ですから、私たちは、「我を立てていくことが

幸いではなく、我を砕いていくことが幸い」
なのです。」しかし、多くのクリスチャンは、

自分の我を砕く経験がありません。我を砕けば、自分の思い通りに出来ないと怖れるからです。

それではいけません。私たちは、罪人ですから、我を砕くのは当然です。

ですから、自分の我を砕いて悔い改めをしていく経験が必要なのです。もし我を持ったままなら、

「あの人が悪い、この人が悪い」と他人の所為にしてしまいます。

すると悔い改めたようでも、イエス様から「知らない」と言われてしまうのです。

また、もし私たちがこの青年のように自分の我を砕かずに逃げていくなら、

「裏切りの根」というものがずっと残り、イエス様に仕えていくことは絶対にできません。

患難時代も通って行くことができないでしょう。


(結) ですから私たちは、「悔い改めたつもり」とか「砕いたつもり」では、

何の意味もありません。砕く時に、そのチャンスの時に、本気で「自分で我を砕く」のです。

もう、自分を守る損得の中に生きていくべきではありません。

砕くというのは、主からの語りかけに、素直に私たちが応じるかどうかです。

そして、砕いていく方を選択していくのです。我を砕くことの幸いを知っているなら、

「自分が罪人ですから、裁かれて当然です」と、天の御国では当たり前の

気持ちを持つだけのことです。その当然の気持ちを持った時には、平安が来ます。

どうか、「我を立てる」ことによって、主から頂ける御国の幸いと

引き替えにすることがないように、私たちは我を砕いていきましょう。




                                      

  
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