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2013年3月3日



『すべてが新しくなった』


第Uコリント5:11〜17



(起) 17節にある「全てが新しくなった」歩みをしていく秘訣を学んでいきたいと

思います。


(承) 私たちが救われる以前は、この世で生きることが全てで、ただ自分のために生き、

自分の都合の中で生きていました。知恵もお金も一杯手に入れたいと願っていました。

しかし同時に思い通りにならない自分に、いらだちと劣等感の虜になっていました。

ところが、イエス様を信じて救われてから変わりました。それは罪を犯さなくなったとか、

自己嫌悪がなくなったという事ではありません。もう自分の弱さや劣等感は関係ないことを

知ったからです。なぜなら、私たちの罪の負債をイエス様が全部負って解決して下さった

からです。だからもう、「自分のためではなく、イエス様の為になることを求めて生きて

いこう」という考え方に変わりました。
ですから、これまでやろうとしなかった事や、

出来なかった事も、イエス様によって乗り越えて一生懸命やろうと思うようになります。

なぜなら、私たちの罪の負債をそれがまさに17節にある「新しく創造された者」の生き方

です。しかしこの救いの中に生きず、なお自分の肉の力に頼って、自分を変えて行かないと

駄目だと考えている人がいます。そういう人は、未だ自分の利益になることだけを追求し、

ただ自分のために生きている人であって、自分のプライドが捨てきれないでいるのです。

すると、信じる以前のように、自分の弱さを隠して、見栄を張るしかありません。

すると、罪と弱さが認められなくなり、救いも分からなくなって来ます。


(転) では、どうしてクリスチャンがこんな生き方の中に入ってしまうのでしょうか?

それは、イエス様を信じただけで、イエス様の救いの中に歩んでいないからです。

そういう人は、イエス様のために生きて行こうと決断していないのです。

贖われ、永遠の命を頂いているにもかかわらず、いまだ昔ながらに、自分の利益ばかり

求め、情けない姿の中で、悶々としているのです。信仰の極意は罪の赦しを素直に受け

取り、イエスを信じ仰ぐことです。
それが無いのです。イエス様が自分の罪のために死ん

で下さったのに、それ以上何が必要でしょうか?

ここから離れて、未信者のように自分に頼って、何とかしないと行けないと思っているの

でしょうか。そして変わっていない自分の姿を見て、やっぱり新しくなっていない、

信じてもだめなのか?となるのでしょうか。そうなったら自分で生きるしかありません。

劣等感に満ちた自分を見て嫌になるしかありません。信仰は、御言葉をそのまま素直に

信じることです。「ひとりの人が、すべての人のために死んだ以上、全ての人が死んだ

のです」と言われている以上、私たちは死んだのです。過去の自分は過ぎ去って、すべて

新しくなったのです。イエス様にあって新しい歩みができるのです。クリスチャンとは、

この信じる歩みの中に入って行く者です。そうしていくための秘訣があります。

 それは、そのまま全部その通り聞くという姿勢を取る事です。たとえば相手から自分の

弱さを指摘されるとします。そのとき、自分でごちゃごちゃ弁解し、反発して考え始めると、

相手がなぜそう言うのか分らなくなります。逆に反抗的にさえなります。

しかし相手のいう事を全部聞こうと、自分に言い聞かせて心を開くと、その人が何でそう

言うのかが分かります。すると自分の問題が見えてきて、そこから離れようという気持ち

になります。
すると、心が平安になり、自分の罪を認める事ができ、嬉しくなって心が

変わります。クリスチャンは、御言葉に対しても、そういう姿勢を取るのです。

それは素直さであり、心を空っぽにして行くことです。それがイエス様の救いの中に生きて

いく秘訣です。

 こうして罪が本当に分かった人は、救いの尊さが分かり、「主イエスを甦らせた父が、

私たちをイエスと共に甦らせ,あなた方と共に御前に立たせて下さる」(4:14)という

ハッピーデーを感謝できるのです。


(結) 
それでもなお、過去の自分に生き続けて、惨めさを味わい続けますか。

過去の自分は死んだのです。全てが新しくなったのです。だから、新しい命の中に生きれば

いいのです。御言葉を、「あっそうか」と受け取るのが信仰の秘訣です。信仰の世界は

とても単純です。信じて分かる世界です。そのまま素直に受け取ったときに分ってくる

世界です。それが自分のこだわりを砕いて、へりくだり「空っぽの器」にしていく事です。

そこに聖霊の満たしが来ます。

ですから今、私たちは自分の心の壁を砕いて、イエス様の救いの中で生きて行きましょう。

主は、そのまま救いを受け取って、素直に従って行く者を求めておられます。なぜなら、

自分の思いにこだわらずに信頼してくる者に、主は、ご自分の働きを委ねようと考えて

おられるからです。自分の都合で、鋤に手をかけて後ろを振り向く者は、使えないからです。

救われた者は、主に用いられる者になって行きたいはずです。空っぽの器を主に差し出し

ていきましょう。これが「すべてが新しくなった」歩みです。



                                      

  
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