『創造主を信じる山積みの証拠(partU)』
(e)聖書の信憑性について⇒ノーマン・ガイスラー博士は、「どの古代書と比較しても、
その真実性を語る証拠が、一番多く残されているのが聖書である。」と大胆に語っています。
それは、聖書の信憑性が考古学的発見で、繰り返し追認されているからです。
又、救い主メシアに関する古代預言の数の多さと、その預言が偶然に成就する確率の低さの
中で、その預言を満たす人物は、歴史上イエス・キリストしか他にいない、ということです。
(f)イエスの復活について⇒もし、イエスの復活が歴史上の事実なら、イエスの言葉
どおり、「神の子、救い主」として認めることができます。
この復活の事実の証明について、第一のポイントは、イエスの埋葬は、イエスの弟子だけ
でなく、ユダヤ人、ローマ人、その他の多くの人々に、その埋葬の場所が知られていた
という、重要なポイントがあります。
第二に、三日目の朝にイエスの墓が空であったことを、ローマの兵士と、ユダヤの祭司と
イエスの弟子たちが証言していて、その記述が歴史的に一致していること。
もし、疑う人物があれば、そこへ行って真相を確かめることが可能だった。
第三のポイントは、死から甦ったキリストについて、複数の多くの人々の証言の記録がある
こと。そして、この記述の古さは、直接見た人々の記録として残されているということです。
そこには、他に類を見ない伝説の話しではなく、ニュースとして記されているのです。
疑う人は、自分で直接その真偽を確かめることが可能であった。
(g)十二弟子の殉教の事実について⇒イエスの復活が「神の御子である証拠である」と
言って、殉教もいとわなかった弟子たちが、命をかけたその証しをしたこと。
もし、それが嘘と分っていて、その嘘のために、自ら好んで死んでいく人間は誰も
いないのです。
この他にも、学術的に十分証明され、歴史として正しく後世に伝えられた文書が、聖書の
内容と一致する文献として存在している事実は、聖書の内容は、客観的な事実の記録である
ことが分ります。
このように、創造主を肯定する山積みの証拠を前にすれば、理性的な反応を示して受け
入れる誠実さは必要でしょう。
又、クリスチャンなら、事実の上に立って、創造主に従う心を持つのは当然でしょう.
この真実を前にして、人間の思いを優先することは、創造主に逆らう何ものでもありません。
それなら、心を砕いて、創造主に無条件で従っていく意志を表わしていくべきでしょう。 |
|

イエスの復活は歴史上の事実です。
クリスチャンの信仰は、はっきりとした事実に基づいています。
|