『キリストにあって歩む』
コロサイ2章1〜15節
@ 今朝は、「キリストに在って歩む」事について学びたいと思います。
A さて、今日の学びの結論は、コロサイ2章6、7節ですが、その前に、キリストの福音を心で
理解することを学んで行きたいと思います。それは、ジョイフルタイムに来ている子供たちに創造主
を証しする時、創造主がいることだけを語っても、創造主と私たちの関係について、「どのような
個人的関係があるのか」について語られなければ、「それが何?」で終わってしまうからです。
創造主と自分との関わりが、心に結びつかないと、「ああ創造主っているのか?」と、頭で聞いて
終わりです。ですから、この理解は心で分からないと意味がありません。
聖書の真理は、「あっ、そうか!」と聞く者の心に留まり、意味を与え、影響を与えるものです。
そして、それが子供達へのメッセージになります。ですから、創造主と私たち、又、イエス様と
私たちとの具体的なつながりを語ることは大切なことで、必要なことなのです。それが分かると
私たちの心には、安心感がやってきて、うれしくなったり励まされたりするのです。
B では、クリスチャンが「キリストに在って歩む」(6節)歩みについて考えてみましょう。
まず、御言葉を頭だけの理解でおわるなら、「そうか。キリストに在って歩むんだな。」と思う
だけです。しかし、この事について分かりやすく説明されることによって、「あっ、そうか!」
と心に入ってくるのです。こうして、「この世の人々の価値観ではなく、キリストに基づいて
判断する」心の動きが出てくるわけです。ところが、頭だけで理解している人は、普段から常に
頭で考えて答えを出してきていますから、人の誠意に対しても心で受け留めようとしません。
ですから、簡単に人の心を裏切ります。しかし、創造主は、私たちに対して心を用いられ、御子の
血を流してまで、私達を救おうとしてくださったのです。それは、創造主の涙で私たちを救おうと
されたことです。ですから、この創造主の心の真実を受け留めたなら、私たちも心を開いて、
「心で行けばいいんだ」と分かって嬉しくなります。また、私たちのような罪人も、キリストの
贖いの故に裁きの時の刑罰を受けなくても良いことが分かり、「イエス様は凄いなー」と
感動します。
ですから、地上で犯したこれまでの罪に対しては、自分を守らず、素直に悔い改め、責任を取って
行くべきです。創造主は、キリストにすべての支配と権威をお与えになりました。
だから、私たちは、ただへりくだって、キリストに従うだけです。この生き方は、世の価値観と
霊の価値観をごちゃ混ぜにした生き方ではありません。イエス様一本の生き方です。
これが「キリストに在って歩む」生き方です。
C 私たちは、「キリストに在って歩む」生き方を、普段の生き方の中で、行動によって現して
いかなければなりません。それは、「キリストに根ざし、キリストに在って建てられた(7節)」
生き方を行動で表して行く生き方です。それによって、創造主の奥義が一つ一つ心で分かってくる
のです。私たちは、キリストに対する堅い信頼(5節)に立って行きましょう。これを失ったら、
どう生きたらよいのか分からなくなって、世に戻って行ってしまうでしょう。私たちが、このように
歩むことによって、信じる者に働く全能の御力が、どんなに偉大であるか、
又、聖徒たちが受け継ぐ嗣業が、どんなに栄光に富んだものかが、分かってくるのです。
この「キリストに在って歩む」生き方に進んでいきましょう。 |
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