『キリストに心を集中させる生き方』
ヘブル書3章1〜19節
@ 3章1節にある、「大祭司であるイエスに心を集中させなさい。」(創造主訳)
という御言葉に目を留めていきたいと思います。
A さて、今、私たちの教会に与えられているメッセージは、この御言葉に尽きます。
というのは、「空っぽの器に油が注がれる」と言れわてから、今日までの20年の間、
「イエス様一本で歩んでいくように」勧められてきました。けれども、「イエス様一本で行きたい」
という思いはあっても、肉は御霊に逆らい、大祭司であるイエス様に心を集中させないように妨げて
きました。しかし、決断のないところには、行動はありません。
ですから、今こそ、その決断の時です。
今、心を砕いて、創造主に無条件で従っていく意志を現していく事を求められているのです。
B では、キリストに心を集中していく生き方について考えてみましょう。私たちは、進化論に
対して、天地万物は創造主によって創られたという創造論を学んできました。初めは、その学びも
自分の生き方に殆んど影響を与えることはありませんでした。しかし、創造主は、私の命を創られた
方であるという事実が鮮明にされてくると、単に進化論に対抗するための学問ではなく、私たちの
生き方に関わるものとして意識されてくるようになりました。というのは、私の命を創られ、
生かしてくださっている創造主こそが、私の主権者であると分かったからです。それまでは自分が
主権者でしたから、当たり前のように反抗し、反発し、自我を通してきました。しかし、創造主が
私たちの主権者であるならば、その方に私たちが従うのは当然のことだと目が開かれてきたのです。
それにもかかわらず私たちは、「無条件で従う」と心を定めようとせずに、自分の頭でゴチャゴチャ
と考えて心で決めることをしませんでした。それは、頭で分かっていても心で分かっていなかった
からです。その上、心に起こってくる反発や反抗心は、自分の思いだと思わされ、
「出来っこない。」と悪魔に脅かされてきたからです。
そんな私たちに主は、「今こそ、直ちに決断せよ。」と迫られたのです。悪魔は私たちの思いに
働いても、意志に働くことは出来ません。
ですから、この意志だけは、信仰によって働かすことの出来る世界です。だから、私たちが、自分の
意志を働かせて心を定めるのです。心を定めなければ始まりません。ここに至って私たちは、肉の心
を砕いて、無条件に従っていくと決断するのです。
ですから今日が、「イエス様に心を集中させていく」出発の日です。しかもこのイエス様は私たちの
大祭司です。大祭司であるイエス様は、私たちが受けるべき罪の刑罰を代わりに受けて死んで
くださったのです。私たちには、このイエス様がいるのですから、たとい悪魔があおってきて
失敗したとしても、なんども、悔い改めてこの定めの中に入るべきです。
C 私達にとって、救いは恵みです。しかし、主に従っていくときに必要なのは、努力です。
「創造主の安息に入っていけるように努力しようではありませんか。」(4章11)、と言われて
いるように、努力無くして主に用いられることはありません。ですから、努力して、役立つものと
なり、創造主の祝福にあずかるものとなっていきましょう。
今日が、「キリストに心を集中していく」生き方を始める、門出となっていくでしょう。 |
|