① ある青年がイエス様に走りより、尋ねて言いました。「永遠の命を受けるために、何をしたら
良いでしょうか。」と。彼に対してイエス様は、言われました。「あなたに足りないことが一つ
あります。・・・」と。そこで今朝は、「足りない一つのこと」について考え、学びたい
と思います。
② さて、永遠の命を求めてせっかくイエス様の所に来たのに、この青年は去って行ってしまい
ました。これはショッキングな出来事ですが、ここに大事なメッセージが示されているのです。
イエス様はこのところから、弟子たちや群衆に、「創造主には、何でも出来るのです。」という
ことを信じて選択していくことを教えたかったのです。
③ では、この青年に対するイエス様の御心を考えながら、私たちにとって最も幸いな選択は何か
について考えてみましょう。先ずこの青年は、小さいときから戒めを守っていると言い切って
います。
しかしイエス様は、彼が100%完璧に守っているわけではないことをご存知でした。それでも
彼を問い詰めることはされないで、むしろ、彼の目を慈しんでご覧になり言われたのです。
「あなたに足りないことが一つあります。帰って行き、あなたの持っているものは何でも売って、
貧しい人々に与えなさい。・・・そして、十字架を負ってわたしに従って来なさい。」と。
その唯一つ足りないものとは、なんでしょう?それは、「創造主には、何でもできる。」という
信仰です。イエス様は、彼を一緒に旅に連れて行き、そのことを教えたかったのです。そのために、
彼の持ち物を全部売って従ってきなさい。と言われたのです。死んだ後の保障を、イエス様が与える
ことが出来るということを、彼に示したかったのです。本気で追い求めているなら、地上のこと
より、永遠を選択します。例えば、高山右近が、全ての領地や地位を捨てても信仰を選択したよう
にです。ところが彼は持っているものは何でも売って・・・、と言われビビッてしまったのです。
本当に無一文になる・・・と不安にかられ、「創造主は、何でも出来るのです。」という信仰に立つ
ことができなかったからです。たとい、無一文になっても永遠の命を手に入れることが出来るの
です。そこでイエス様は言われました。「富んでいる者が、創造主の御国に入ることより、らくだが
針の穴を通る方が、もっとやさしい。」すると、弟子たちは驚いて言いました。「それでは、誰が
救われることが出来るのだろう。」そこでイエス様は言われました。「人には出来ないが、創造主
には出来るのです。創造主は何でも出来るからです。」事実、大金持ちだったザアカイは、イエス様
の一言で改心し、自分の方から、財産を貧しい人々に与え、救いを受けました。青年が出来なかった
ことを、主はザアカイを通してなさったのです。私たちもザアカイと同じ者です。何の価値も無い
ものが、イエス様に声をかけられ、今もここに留められています。
それは、「人には出来ないことを、創造主はしてくださったからです。」私たちは幼子のように
信じ、選択してきました。ですから、信仰とは、「創造主は常に最善をして下さると信じて、
主を選択して従うことです。」それが信仰です。
④ 私たちは現在まで、いろんな修羅場を通りながらも、創造主からの最善の導きを受け、
ここまで来ました。それは、地上のものに望みを置かず、創造主に望みを置いて信じて従うことを
選択してきたからです。「イエス様は一つだけ足りないことがある」と言われましたが、それは、
「創造主には何でも出来る」と信じる心です。この信頼と選択の心があれば、どんな脅かしが来ても
怖いものはありません。たとえ、患難難時代を通ることがあっても、私たちは今、青年に欠けていた
ものを手にしています。私たちは針の穴を通ったのです。この素晴らしい主からの信仰の賜物を
感謝して、従って行きましょう。
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