懐疑主義者のマイケル・シャーマーは、
「信仰の本質とは、証拠を無視して、何かを信じることであり、
これは、科学とは正反対のものである。」と言いました。
一般的に信仰は、「証拠が伴わなくても、盲目的に信じること。」盲信又は、妄信と
思われてきました。
しかし、今日の科学は、さまざまな証拠や発見によって、聖書の創造主を信じることは、
最も合理的であり、かつ自然な決定であると認めて来ています。
それには、
「第一に、事の始まりには必ず原因があること。
第二に、宇宙の存在にはスタート地点があったこと。
第三に、だから、宇宙の始まりには原因があった。」と
高名な科学者であるアーサー・エディントン博士が主張しています。
つまり、超自然的力によって発生したことを認めなければ、宇宙の起源や人間の命の起源は、
克服できない問題がついて回ることになるのです。
ですから「信仰とは、証拠と同じ方向に理性的な一歩を踏み出すことだ。」とクレイグ博士が
言いました。しかも、創造主の実在を示す科学的・歴史的事実は、その証拠を認めるだけでなく、
その先に進み、その事実に応答することである。
なぜなら、宇宙や生命の成り立ちは、
全てカミソリの刃の上で、絶妙な調整がされて存在しており、これは、偉大な知性から生まれ出る
法則、秩序によったもので、偶然の入る余地のない事実であるからです。
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