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2011年 NO.397
  





『愛の神が、人間を地獄で苦しめるのか?


地獄とは、どんなところでしょう。

聖書には、「火と硫黄との燃える池の中に生きたまま投げ込まれ、永遠に昼も夜も苦しみを

受ける。」(黙20章)とあります。日曜学校の先生が地獄の話しをすると、このようになり

ます。「ロウソクに火をつけて、指をヤケドしたら、ものすごく痛いでしょう。

じゃあー、体全体が、いつまでも、いつまでも炎に焼かれることを想像してごらん!

いいかい! それが地獄だよ!!」このように、キリスト教の説く地獄とは、永遠の苦しみを

受ける刑罰の所です。ですから、それを聞く人々にとって、心を激しく動揺させる問題です。

この地獄について、ビリーグラハム師と共に伝道していたチャールズ・テンプルトンは、

今、懐疑主義者となって感情的反論を正面からぶつけて来ます。

 「誰かの手を引いて、その人を火の中に入れるなんて、私だったらそんなこと一秒だって

できやしない。『
愛の神』がどうして、その人を火あぶりにして永遠に苦しめることができる

と言うのか?」
と言いました。ですから、地獄に対する人間の感情は、強い反発を示します。

 しかし、地獄がなければ、人生の評価は全くされないことになります。何をしても、賞罰が

ないのですから、人の理性的抑制は、無意味となり、人間の意志決定も無意味になります。


 もし、人の命が偶然の産物で、行き当たりばったりの、ただの猿からの進化であるなら、

人生の評価は一切関係ないでしょう。しかし、人間には、誰しも良心を持ち、善し悪しを 

判別する心を持って、人生をコントロールしています。なぜでしょうか?

それは、人間の中にある自由意志と道徳的選択権の尊厳を尊んでいるからです。

人は、理性のない動物ではありません。

 ですから、その尊厳と責任を尊ぶがために、この地上でさえ、裁判所と刑務所が存在する

のです。 ならば、人生の締め括りが問われるのも当然でしょう。キリスト教の地獄は、

創造主から いただいた 命の尊厳としての結果です。だから、その命の創造主に対する、

人生の意志決定には、大きな意味があります。
悔い改めて、命の創造主に立ち帰ることこそ、

この地獄の呪いからの解放です。
 


「火と硫黄との燃える池の中に生きたまま投げ込まれ、
永遠に昼も夜も苦しみを受ける。」(黙20章)



   
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