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2011年 NO.395
  



人間の生きる価値は、道徳にあると思う人に


 世界は、人種と宗教観の違いで、何世紀もの間、争いが続いてきました。

ですから、「何を信じるか」ということより、道徳的な生活をして隣人を愛していくことの方が

重要ではないかと、考える多くの人々がいます。
たしかに、個人の信条よりも、互いに平和に

暮せる方法を見出すことは重要でしょう。そこで、人生のすべては道徳であると言うなら、

「道徳とは何か」ということを定義しなければなりません。

しかし、道徳は、その国柄、その人の生活レベル、民族の特徴、置かれた環境などによって

全て変ってきます。

 例えば、日本人はくじらを食べることに罪意識はありません。しかし、他国では、めくじらを

立てて非難します。牛を殺して食べても、くじらを殺せば非難されます。人間社会の道徳に

絶対はありません。それは、個人においても皆違います。

すなわち、超越的なしっかりとした道徳的理論は、創造主の存在をおいてはないからです。

キリスト教では、どんなに素晴らしい模範的な人生を歩んだとしても、人間が神の性質や基準

に追いつくことは絶対にできないと教えています。だから、他人と比べた上で、「自分は

道徳的な人間だ」といくら主張しても、神の完璧な道徳律の前では、人間はみな落第です。

ですから、人は、みな創造主の赦しと恵みが必要なのです。人の犯しうる最悪の不道徳は、

「自分は神を必要としない」と宣言することです。
人間が道徳を重んじることは大切です。

しかし、独力で善を追求することは、自分で自分を贖うことです。もし自分の全ての罪を自分

で贖うとするなら、何を差し出せばよいでしょうか? 自分の命しかありません。 

そこで、「自らの力や努力で天国に入ることはできない。」という聖書の驚くべき真理の背影に

は、創造主ご自身が、人を贖うために、事を起こして下さったことが記されているのです。

すなわち、イエスは、悪人を善人に変えるために、この世界に来たのではなく、生まれた時から

罪人である人間の罪を贖い、その罪人を死からよみがえらせるために来られたのです。

だから
、天国に行けない人間を、創造主の御子の贖いの代価によって、たとえ殺人者で

あっても、社会的に蔑まわれた女であっても、創造主の憐れみの中に入れられるのです。

神の義は、人間の道徳力で勝ち取ることは出来ないからです。


   
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