@ 今朝は、私たちの創造主に対する確信が、自分自身の生き方につながっていく事を
学びたいと思います。
A さて、私たちが創造主について学び、自分にとって創造主がどういう方であるのかが
分かってくれば、自分自身と創造主との直接的な結びつきが生まれてくるはずです。
ところが、創造主の存在は分かっても、今更、「それが何んなの」としらけてしまう人もいます。
「自分にとって、創造主はどういうお方なのか」ということが
はっきりと心に入っていないからです。
ですから、進化論者の主張に対して弱気になり、確信のない態度を現してしまうのです。
しかし、進化論のそもそもの始まりは、似た生物が一杯いるから・・・という先入観から
出てきたもので、そこには何の根拠もなく、科学的に証明もされていません。
一方、使徒ヨハネは、はっきりと語っています。
「私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見て手で触ったもの・・・」と。
また、創造主の存在を確信するが故に、宇宙には計算の成り立つルールがあり、自然界を観測した
アインシュタインやニュートンなどの科学者たちは、様々な秩序ある法則を見出したのです。
全てのものの始まりは、創造主にあるという聖書のことばは、こじつけではないのです。
B では、創造主と結びついた生き方について考えてみましょう。
私たちは、創造主がおられなければ、何も存在できなかったことが分かっています。
また、自分自身も創造された者であり、いのちを与えられた者だと分かってきます。
ただこの事実が、私たちの心に入っているかどうかが大事なポイントなのです。
もし心に結びつけられているなら、「自分が創造主に従うのは当然だ。」となります。
ところが私たちは、当然の権利のように反発し、反抗し、文句を言います。
そして、「しょうがない」、「仕方ない」、という論理で、御ことばに従えない自分を
正当化します。それは、自分自身を王にし、主人にして生きているからです。
そのことは、その人にとって創造主が、ただの頭だけの存在でしかないのです。
もし、創造主に従うことしかないことが分かれば、間違いを指摘されたときには、
「そうですね。」と素直に認めて悔い改め、そこから離れていこうとします。
創造主に逆らったら、イエスキリストの救いは永遠になくなるからです。
こうして、罪を犯し続けていくことはできなくなるのです。
これが、創造主と結びついた生き方なのです。
C 私たちが創造主を心に入れるなら、目で見て、聞いて、手で触っているものとなり、
心に結びついた創造主を証ししていく者になっていくでしょう。
また、創造主に全てを任せて生きていけばいいという生き方になり、完全に従って行こうと
分かって、「ありがとうございます!」となっていくでしょう。そして、見返りを求めない
アガペーの愛を実践していく者になっていくことでしょう。私たちは、頭だけの者ではなく
心に結びつけられた者として、真理の下に歩んでいきたいのです。 |