教 会 案 内 牧 師 紹 介 定 期 集 会 特 別 集 会
定 期 メ ッセージ  シ ョ ー ト メッセージ 福 音 の 話
行   事 教 会 新 聞 掲 示 板 リ ン ク 事 務 室


2011年5月29日



リセットしてスタートする


ロマ書9章30〜33節




  

@ 今朝は、イスラエルが陥ったつまずきの石について考えます。

そして、つまずきからの脱出は、自分をリセットすることであることを学びたいと思います。

A さて、イスラエルの民は、主の民として創造主のことば(律法)を与えられました。

それ以来、人の努力による義を得るために律法を追い求めました。

しかし、彼らは義に到達できませんでした。

ところが、義を追い求めなかった異邦人は義を得ました。

何故でしょうか? 異邦人は信仰によって追い求めたからです。

イスラエルの民は行いによるかのように追い求めたので、「つまずきの石、妨げの岩」に

つまずいたのです。


B では、この「つまずきの石、妨げの岩」とは何かを考えながら、私たちの信仰生活の中で、

何が「つまづきの石」となっているのか見ていきたいと思います。

先ず、イスラエルにとってのつまずきの岩とは何だったのでしょうか。

パウロは明言しています。

それは、イエス様ご自身です。イスラエル人は、「主を仰ぐことによって追い求めることを

しないで、行いによるかのように追い求めたからです。」彼らの誇りは、創造主によって

戒め(律法)を頂いていることでした。ですから、戒めを守ろうとしていることが、

自分の義となり、守っているか、いないかは別の問題でした。その結果、守ろうとして真面目に

生きていると思っていることが自分の義となりました。さらに、それを認めてもらうために、

外側の行いを飾ろうとしたのです。しかしイエス様は、彼らの偽善を見抜かれて言われました。

「わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。白く塗った墓。外側は人に正しく見えても、

内側は偽善と不法で一杯だ。」と。彼らは、真面目に生きてこようとしてきた過去を

全否定されたことが赦せませんでした。到達していなくても、努力してきたというメンツと

プライドが、イエス・キリストの指摘に反発したのです。

その結果、「イエス・キリストを殺せ!」となり、十字架につけてしまったのです。

実に、人間の罪がキリストを殺したのです。

それでは、誰が救われるのかというと、私たちは罪人だからダメなのかというとそうでは

ありません。主を信じ仰ぐ心があるなら救われるのです。なぜなら、イエス・キリストが罪の

贖いを全部するために、来て下さったからです。即ち、私たちは、何も出来ない者で、救って

もらうしかない者だと認めるところから始まります。


ところが、クリスチャンは、信じてからもなお、自分の正しさや行いに頼って生きて

行こうとします。実は、それらが「つまずきの石」となって、わずかばかりのプライドを、

ゼロにすることが出来ないのです。また、自分の情けない姿を見たとき、倒れたくないと自分に

頼って自分の力で何とかしようとしてあがくのです。自分の力により頼もうとするその心が

「つまずきの石」となって、主を仰ぎ、より頼む心を失ってしまうのです。

「自分の力や努力や行いに頼ろうとする習慣が間違っている」と言われているのです。

私たち人間は皆罪人であり、何もない空っぽの器ですから、「主に信頼せよ。

主が成し遂げて下さる。」という心でやっていくべきなのです。


C 私たちは、自分の出来ないことを求められると、プライドやメンツや信用などを失うのが

怖くなって逃げ出してしまいます。確かに世のやり方では失敗したら終わりでしょう。

しかし、
イエス様にあっては、私たちの力のなさを100%認め、間違っていましたとゼロに

するなら、リセットすることができ、主を信頼する信仰の心が、また生まれてくるのです。


私たちはひたすらイエス様に望みを置き、自分の傲慢を砕いて、つまずきの石につまずくことが

ないようにしましょう。

                                        

  
 *メニュー
      * 教 会 案 内
      * 牧 師 紹 介
      * 定 期 集 会
      * 特 別 集 会
      * 定期メッセージ
      * ショートメッセージ
      * 福 音 の 話
      * 行       事
      * 教 会 新 聞
      * 掲  示  板
      * リ  ン  ク
      * 事  務  室