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2011年11月20日




『走るべき道を走り尽くす』


使徒20章17〜38節



  

@ 今朝は、パウロがエペソの長老たちへの告別のメッセージから、イエス・キリストにあって、

「走るべき道を走り尽くす。」
という生き方について学びたいと思います。

A さて、パウロは、第三次伝道旅行の際に、御霊に感じてエルサレムに行く決心をしました。

その道中、エペソの長老たちを呼び寄せて語り出したのがこの告別のメッセージです。

「御霊に迫られてエルサレムに行くけれども、そこでは、投獄と患難が待ち受けていると聖霊に

告げられてます。しかし、自分の行程を走り尽くし、福音を証しする任務を果たし終えることが

できたら、私の命は少しも惜しいとは思わない」。と言い、

「自分が去った後、凶暴な狼が入り込んできて群れを荒らすようになるから、目を覚まして、

教えられたことを忘れないで心を留めてやってほしい」と語りました。このパウロの心は、

書簡でも同じメッセージとしてハッキリと語られています。

 ですから、このメッセージは私たちにも、
「やるべきことをやり終えなさい。」という生き方を

するようにと勧めている
ものです。


B では、パウロの生き方から学んでみましょう。

パウロは言っています。「自分はすでに捕らえたなどと考えているのではなく、後ろのものを忘れ、

ひたむきに前のものに向かって進み、創造主の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っている

のです。」それは、キリストを得たことの素晴らしさのゆえに、それまで自分の誇りとなっていた
  
ちりあくた
ものが塵芥と思わされ、信仰によって創造主から与えられる義を持つ望みを得たので、

何とかしてイエスと同じ復活に達したいと追求しているのです。ですから、決勝点がどこかわから

ないような、空を打つような拳闘をしているのではなく、朽ちない冠を受けるために走っている

のだと言っています。

 
これは、数々の試練の中にあって主に仕え、ひたすら前に向かって前進してきたパウロの証し

です。
パウロは自分の任務を果たし終えました。そこには、自分の体を打ち叩いてでも従わせる

という努力があったのです
。私たちは決勝点を目指して走っていきます。

しかし一等になってテープを切れるかと言うと、そういうわけでもありません。

しかし、私たちの努力は未信者の場合とは異なります。確かに世の中では一位になることこそ

価値があります。
しかし私たちは、テープを切ることを目指して行きますが、たとい二位でも、

「イエス様に手を引かれてやり終えた!」、のなら、そこに価値があります。


パウロは、一等となるためにテープを切る気骨を持って、わざわざ患難の中にさえ入って

いきました。私たちも、パウロと同じ勝利を味わって、生涯を終えたいと願っています。

そのためには現状に満足せずに、前に向かってひたすら努力し、追求していきたいのです。


C そこで、私たちが、主に役立つ働き人となっていくためには、自分の肉の弱さを乗り越えて、

主に役立つ者に変えていただかねばなりません。その為には、主が必ず助けて下さると信じて、

自分の体を打ち叩いてでも従わせるという努力が必要です。そうするなら、主は変えてくださり、

用いてくださいます。そして、パウロと同じスピリットを持って、走るべき行程を走り尽くして

行きたいのです。  

 

                                        

  
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