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2011年10月30日


『私たちに必要な努力』


使徒5章34〜42節



  

@ 今朝は、ペテロが力強く主に用いられて行く者とされた心の変化を見ながら、私たちが

主に用いられるために必要な努力
について学びたいと思います。


A さて、使徒たちは復活したキリストを大胆に証しし、また病人を癒やしていたので、

祭司長たちは嫉妬し、使徒たちを捕らえて留置しました。そして、使徒達は議会で尋問を受け、

鞭打ちの刑にされてから解き放たれました。しかし、そんな辱めを受けながらも、使徒たちは、

「イエスの御名のために恥を加えられるに足る者とされたことを喜びながら、議会から出て行った。」

とあります。これは驚嘆すべきことです。というのは、彼らは、イエス様が捕えられた時、

自分たちも捕らえられるのではないかと役人たちを恐れ、部屋に閉じこもり隠れていた者たち

だったからです。臆病な弟子達が、どうしてこんなに強くなれたのでしょうか。


B では、何が使徒たちを変えていったのか見ていきましょう。

彼らの転機は、五旬節の日に起こったペンテコステです。それまでは家の中でくるまって祈っている

だけでした。

しかし、聖霊のバプテスマを受けたこの時から、彼等は、見違えるように大胆に外に出て行き、

十字架につけられたイエスキリスト大胆に、臆せずに語って行ったのです。語れば、即牢獄という

状況の中にあって、何度も投獄されながらもイヤだと思わず、決して語ることを止めようとは

しませんでした。私たちも彼らのように、「力強く伝道していきたいな!」と思います。

しかし、足踏みしています。それは、自分の力不足を覚えさせられているからです。それは、

「信じたら助けてもらえると思って信じたのに、依然弱い自分のままで、何かしなければいけない

と思っていても出来ない!」という中に留まっているからです。

しかし皆さん、信じる前と信じた後には大きな違いがあることに気づいてください。それは、

どんなに弱くても、弱い私たちに主の助けがあるということです。
ペテロをはじめ使徒たちの強さは

そこにありました。彼らは、主が自分たちの助けとなって下さり、何でもしてくださるという

揺るぎない確信を持ったので、人を恐れることなく大胆に語り出したのです。
彼らを変えられた

同じイエス様が、私たちをも変えてくださるのです。


私たちは、壁にぶつかったとき、弱い自分を主に頼って変えられて主に用いられていくか、

あるいは変えられずに弱い自分をはかなんでいくか、どちらかです。

 
もし、どこまでも主に用いられたいと願うなら、強力に主に助けを求めていくでしょう。その時、

自分の心に命じるのです。「諦めず聞いたとおりにやっていくぞ!」と。心に命じて初めて行動が

生まれてきます。
どんな事柄においても、「主よ、助けてください!」と、主を信じて仰ぐ心を

持って事を行っていくことが、クリスチャンには出来るのです。
主に頼る人は、諦めずに自分の

心に命じ続ける努力をしていきます。それによって、今まで出来なかったことが出来るようになった

事を味わうようになるのです。


C 私たちは、自分の弱いところを主に変えてもらわねばなりません。主のために働くように

導かれているからです。そのためには先ず、主に従うことを求められます。

ところが、従えないというどうしようもない弱さがあることも事実です。しかし、それでも主に

用いられたいと思うなら、従うと決めて、心に命じ続けることです。
主が助けてくださいますから、

諦めずに、向上心を持って、心に命じ続けるという努力をしていくべきです。

主に用いられるために、向上心を持って、変えていこうではありませんか。 



                                        

  
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