| 『信仰のレベルアップ』 
 
 
 
 
 
 マルコ1章32〜39節 
 
 
 
        
          
                        | @ 今朝は、信仰のレベルアップについて考えてみたいと思います。 
 A さて、私たちは福音書を何度も読んできましたが、今回は違った読み方をしていきたいと思って
 
 います。これまでは、イエス様に心を閉じて、批判ばかりしているパリサイ人たちの気持ちも、
 
 くみ取りながら読んできましたが、今回は、イエス様を神の御子と信じている者として、その場に
 
 タイムスリップし、聖書を全て知っている者として、客観的にその場の状況を判断し、イエス様の側に
 
 立って読んでいく読み方をしたいと思います。そうすれば、福音を語られたイエス様の気持ちが良く
 
 分かってくるのではないでしょうか。
 
 そして、もっともっと新鮮なイエス様像に出会うように思います。
 
 B では、イエス様のところにタイムスリップしてみましょう。ここでは多くの人々が、イエス様の
 
 所に病人や悪霊につかれた人を連れてやって来ています。イエス様は、多くの病人をいやし、悪霊を
 
 追い出されました。これまではスルッと読んでいましたが、自分がその場にいるものとして読んでいく
 
 とき、悪霊の存在に目がとまります。私たちは、科学万能の文明社会にいますので、悪霊が働くのは
 
 おかしいと考えています。しかし聖書の中では、悪霊の存在は当たり前であり、特に福音書では
 
 顕著です。どうしてでしょうか。悪霊はイエス様が神の御子キリストであることを知っていた
 
 からです。それまでは自分たちの姿を隠すことが出来ました。ですから普通に会堂の中にもおれたの
 
 です。ところが、イエス様が来られると、隠れていることが出来ず叫びだしたのです。それだけでは
 
 ありません。たとい叫び声を上げなくても、悪霊は、至る所にその顔を出してきています。
 
 たとえば、2章7節の律法学者たちのことばです。彼らはイエス様を神の御子として見ていないので、
 
 当然の反応といえば当然なのですが、イエス様に逆らうこの声は、正しく悪魔の声なのです。
 
 又2章18節では、断食をしないイエス様の弟子たちに疑問を持って非難してきました。確かに、
 
 断食は神への信仰の態度ですから、疑問を持つのは普通かも知れません。しかしその背後には、
 
 イエス様は神の御子ではないと否定する、悪霊が言わせているのです。安息日についても同じです。
 
 イエス様を訴えようとじっと見ている者の正体は悪霊そのものです。彼らは、イエス様に心を閉じて
 
 いる者たちの心に隠れて、敵対する言葉を言っているのです。客観的に見ていくとこのことが良く
 
 分かってきます。そしてイエス様は、全てをご存じの上で対応しておられることが良く分かります。
 
 それは現代も同じなのです。ただ、悪霊は、神の子であるイエス様が地上におられないので、
 
 隠れやすくなっているだけで、私たち自身もその影響力を受けているのです。
 
 例えば、5章35節に、死にかけている娘を助けて欲しいとイエス様に願い、家に向かっていた
 
 ヤイロの所に、遣いの者がやってきて言いました。「お嬢さんは死にました。なぜ、この上先生を煩わ
 
 すことがありましょう。」。私たちは普通に「そうだな」と考えます。このように悪霊は、
 
 イエス様への信頼を失わせようとして巧妙にやってきます。しかしイエス様は言われました。
 
 「恐れないで、ただ信じていなさい。」と。この御ことばは、今私たちに語られているのです。
 
 C 目に見えない悪霊の働きは今も休みなしに続いています。ですから、私たちは霊の目を開いて
 
 いくべきです。そうすれば悪しき霊を判断でき、見抜くことが出来れば戦えるからです。
 
 しかも、イエス様はいつも私たちの横に共におられ、「恐れるな。」と言って下さっています。
 
 ですから私たちは、イエス様の御名の権威によって戦い、勝利を得ることが出来るのです。
 
 イエス様がいつも私たちの横にいて下さるとイメージする信仰と、恐れず信頼していくことが信仰の
 
 レベルアップへの道なのです。
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