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2010年2月7日





心の目を開く





ルカ24章13〜35節




  

@ 今朝は、「心の目を開く」ことについて学びたいと思います。

A キリストが復活された日、二人の弟子が、エルサレムから離れ、エマオの村に向かっていまし

た。彼らは、使徒達と同じように主と共に歩み、主の話を直接聞き、直接奇蹟を見てきた者達です。

しかも、その日の早朝には、墓から帰った女たちから、「イエス様が甦った」と聞いていたのです。

しかし、彼らは「イエス様は死んだ。」とがっかりし、エルサレムから離れて、自分の村に帰ろうと

していたのです。ところがその道中に、イエス様が彼らの所に来られて話を始められました。

ところが、彼らの目はさえぎられていて、真横にいるイエス様が分かりませんでした。

B では、どのようにして彼らの目が開かれたのでしょうか? そのいきさつを見て行きたいと思い

ます。彼らが、道々、その日の出来事を論じ合っているとき、イエス様が近づいて来られて共に歩い

ておられたのです。しかし彼らの目はさえぎられていて、イエス様だとは分かりませんでした。

ですから、彼らの話している事柄を尋ねられた時、クレオパは他人のように馬鹿にして言った

のです。「エルサレム中が大騒ぎになっている出来事をあなただけが知らなかったのですか。」と。

そして、彼らはナザレ人イエスについて話し始めました。「イエスは十字架で死んだのですが、

三日目の朝、墓に行った女たちが、『イエスは甦った。』と言うのです。しかし、『自分たちは見て

いなかったので、分かりません。』」と言うと、イエス様は、「ああ、愚かな人たち。預言者たちの

言った全てを信じない、心の鈍い人たち。」と言われ、旧約聖書全体から、ご自分について書いて

ある事柄を解き明かされました。「それは全部成就しているんだよ。」と。また、「生きているとき

にも、三日目に甦ると言っておられたでしょ」と。それでも彼らは、エルサレムに戻って確かめよう

としませんでした。しかし、夕食の時にイエスがパンを取って、裂いて彼らに渡されたとき、彼らの

目が開かれ、やっとイエス様だと分かりました。そこで彼らは、その夜11qの道のりを一目散で

走り、エルサレムへと戻って行ったのです。心の目がイエス様によって開かれたからです。

私たちは、心の目を自分の力で開こうと思っても開けません。私たちの信じるときも、自分の力で

心を開き、キリストを受け入れた訳ではありませんでした。そこには聖霊の助けがあり、心の壁が

取り除かれて、心を開くことが出来た
のです。同じように、私たちの周りにいる未信者の心も、

主によって開かれる必要があります。たとえ、頭で理解できても、自分のこととして受け入れるため

には、心の壁が取り除かれ、心が開かれなければ信じることが出来ないからです。だからこそ、

周りの人たちの祈りと助けが必要なのです。

C 私たちの(かたく)なな心の壁とは何でしょう。それは、どこまでも自分が主人公で、

自分のために生きて行こうとすることです。

ですから、
主人公が「私たちからイエス・キリストに」変えられなければなりません。

自分を主人として築いてきた自分の義をささげるのです。その心が壁となっているからです。

ですから、全てのクリスチャンが自分のプライドを砕き、本当の主人をイエス・キリストに置き換え

るべきです。そのために心を開き、自分の(わず)かばかりのプライドを砕いていくべきです。

そして、
主から離れていく道を、エルサレムへの道へと変えていくのです。

主は、そのことを願って、弟子達に現れてくださったのですから。

そうして、真理の中に置かれる幸いを味わって行きましょう。

                                        

  
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